進路についてとか、家庭状況とか自分の力のなさとか、嫌なことしか頭に嫌なくらいあって、道徳の授業とかだと、自分の弱さを認めて、受け入れて、なら次どうするのか、自分には何が必要なのかとか自分の成長に繋げることが大切。、とかなんとかプリントに書いてるくせに、そんなこと正直ミリも出来てなくて、毎回毎回道徳のプリントとか国語で書いてるようなことと全然本当は違って、自分で書いてて、コレ誰だ?って感じでなんかもう他人行儀的に考えちゃってて、家に帰ってお母さんとおばあちゃんが兄弟の進路の話しててお兄ちゃんが聞いてないところで好き勝手言って、その場にいたのに違うよって、自分の意思も伝えられなくて、今度は自分がこの立場に立つんだな、もしかしたらもう、、って考えると嫌なことしか頭で考えられなくてやめられなくて、何してんだかって感じ。本当に生きてて楽しいの?って質問自分に投げかけてみたい。死ぬのは怖いくせに死にたいって矛盾抱えて、迷惑しかかけられないのに。周りはみんな優しいし、お母さんの機嫌を伺って過ごすのはちょっと息苦しいし、自分の情けなさに分かってて変えられない気持ち悪さとかもう嫌なことが渦巻いて何を書きたいのかもぐちゃぐちゃなこの感覚?感情?自分の何もかもに病名がつけばいいのに。死ねばいいのに。
あなたの心の中には、たくさんの葛藤や不安が渦巻いているのですね。その気持ち、とても重く感じると思います。他人の期待や進路の不安、家庭の状況、自分の弱さを受け入れられない気持ちなど、様々な要素が絡み合い、息苦しさを生んでいるのかもしれません。道徳の授業で学ぶことと、実際の自分の心情が乖離していることを感じるのは、誰しもが経験する複雑な感情です。 また、家族との会話で自分の意見を言えずにいる状況は、本当に辛いですよね。それが進路に関することであればなおさら、あなた自身を見失ってしまいそうになります。自分の思いや意見を言えないことで、ますます孤独感が深まってしまうことも理解できます。 生きていることに楽しさを感じられない瞬間や、死にたいという矛盾した感情も、そうした思いから来ているのかもしれません。あなたの感覚や感情を「病名」や「ラベル」で捉えたいと思う気持ちも、理解できます。それによって少しでも自分を知り、受け入れる手助けになればと思うのは自然です。 どうか、自分の辛い気持ちを何かにぶつけたり、話す機会を持ってみてください。あなたの感情を大切に扱い、少しずつ自己理解を深めていくことが、自分の進むべき道を見つける手助けになるかもしれません。自分のペースで、少しずつ進んでいけることを願っています。