10年ほど前 高校1年生だった時の話です。 私は子どもの頃から勉強が苦手で 高校に入ってからも勉強や 提出物についていけなく なってしまいました。 提出物をやっていなかったり 提出していなかったりしたことに ついて先生から怒られるのが怖くて 「出しました」と嘘をついて しまったことも何度もあります。 当然、後から提出していないことが 分かって怒られました。 それを繰り返したことで 担任や学年主任からの信頼も 失っていたと思います。 今振り返れば、 「最初からちゃんとやって 提出すればよかった」 と思う部分もあります。 でも、当時の私はそれが なかなかできませんでした。 職員室へ行くこと自体が苦手。 課題の量を見るとやる気がなくなる。 放課後に学校へ残って課題をするのも苦手。 家に帰ればスマホやゲームに逃げてしまう。 嫌なことがあると逃げてしまう、 面倒くさがりで諦めやすい性格 だったことも、自分では 分かっていました。 それでも先生や両親に、 「自分でもどうしたらいいのか分からない」 と相談することができず ストレスを自分の中に ずっと溜め込んでいました。 そして3学期になる頃には 先生から勉強や提出物について 厳しく言われることへの恐怖から 仮病で学校を休んだり 登校を渋ったりする日が 増えていきました。 家庭科の出席日数が 危なくなった時には 「これで留年するのだけは避けたい」と 家庭科のある日は頑張って登校しました。 それでも怖かった現代文の授業だけは 仮病を使って保健室へ 逃げたこともありました。 そんな状態で迎えた 高校1年生の3月。 終業式の日の放課後 学年主任から今後について 3つの選択肢を示されました。 ①もう一度この学校で1年生をやり直す。 ただし、赤点を1教科でも取ったり 提出物を1回でも出さなかったり した場合は、学期に関係なく 退学にするという条件付き。 ②通信制高校や 定時制高校などへ転校する。 ③高校を退学する。 または高卒認定試験を受ける。 「次の面談までに自分で 考えて決めなさい」と言われました。 私はこの1年間の高校生活を 振り返って、真剣に考えました。 そして最終的に選んだのが、 「通信制高校への転校」でした。 校長室で、担任、学年主任、 教頭、校長、父、母がいる中、 「通信制高校へ転校したいです」 と自分の意思を伝えました。 学校側や両親からは、 「もう1年この学校に残って頑張ってほしい」 とかなり止められました。 母から泣きながら、 「次はないよ」 と言われたことも 今でも覚えています。 それでも、通信制高校へ行きたい という私の気持ちは変わりませんでした。 父が学年主任に、 「本人は高校だけはちゃんと 卒業したいと言っています」 と伝えた時、学年主任から 返ってきたのは「うーん……」という 反応でした。 さらに、 「それなら自分で学校を探しなさい」 「親は手伝わなくていい」 「この期限までに自分で探して 手続きをしなければ退学にする」 という話になりました。 最初は一人でインターネットを 使って通信制高校を探しました。 でも、高校1年生だった 私にはなかなか難しく 次第に追い詰められていきました。 「もう高校を辞めて、高卒認定を 取った方がいいのかな」 そう考えたこともありました。 そして当時は、すべてから 逃げるために自分の命を 終わらせてしまおうかと 考えるほど追い詰められた 時期もありました。 実際に危ないところまでいきました。 でもその時、 「そうしたら、毎年楽しみに している劇場版コナンを もう観られなくなる。 今年の映画も、来年の映画も観られない」 と思いました。 泣きながら思いとどまりました。 その後、両親とも何度も話し合い ようやく通信制高校への転校を 認めてもらえました。 そこからは両親にも協力してもらい 期限内に通信制高校を受験して合格し 転校手続きも無事に 終えることができました。 転校後、忘れ物の関係で 母が以前の高校へ行った際 転校先の話をしたところ、 学年主任から 「だったら学校に残ればよかったのに」 と言われたそうです。 それを聞いた時は悔しかったです。 「自分がどれだけ苦しい思いをして 悩んだ末に転校を決めたのか 全然分かっていないんだ」 と思いました。 でも、通信制高校に転校したからと いって、すべてが簡単になったわけでは ありませんでした。 私にとって特に大変だったのが レポートです。 子どもの頃から勉強が 苦手だったこともあり、 通信制でも最初はレポートを 期限までに提出できないことが ありました。 正直、今でもレポートは 少しトラウマです。 それでも、終わらなかったレポートは 夏休みや冬休みの補習で取り組み それでも終わらなかったものは 自宅へ郵送してもらって取り組みました。 テストも課題も、自分なりに頑張りました。 そして必要な単位を取ることができました。 無事に3年生へ進級。 最終的には、同年代のみんなと 一緒に高校を卒業することができました。 当時は本来なら卒業後の進路に ついても考えなければ ならない時期でした。 でも、私の頭の中は、 「とにかく高校を卒業したい」 それだけで精一杯でした。 卒業後は専門学校への 進学も決まりました。 もちろん学費はタダではありません。 両親は共働きで、金銭的にも 大変だったと思います。 今振り返れば、そこは本当に 申し訳なかったなと思っています。 その専門学校でも成績不振で 1年留年しました。 その後、在学して約2年が経つ頃、 ストレスによる体調不良なども重なり コロナ禍で最初の緊急事態宣言が 出された直後に退学しました。 それから約3か月後、 フリーターとして働き始めました。 そして現在まで、同じ職場で 働き続けています。 高校時代の自分には 反省するところがたくさんあります。 提出物を出さなかったこと。 「出した」と嘘をついたこと。 嫌なことから逃げてしまったこと。 全部を学校や先生のせいに するつもりはありません。 でも一方で、当時の私は 「やらなければいけない」と 分かっていても、それができず、 自分でもどうしたらいいのか 分からない状態でした。 そして、周りに助けを求めることも できませんでした。 だから今思うのは、 通信制高校への転校を選んだことは、 少なくとも私にとっては間違いでは なかったということです。 通信制でもレポートは大変だった。 何度も苦戦した。 それでも頑張った。 その結果、高校を卒業することが できました。 あの時、「もう一度同じ学校で 1年生をやり直す」のではなく、 自分で「転校したい」と言えたこと。 10年近く経った今でも 高校の卒業証書を手にできたことだけは 当時の自分が頑張った 結果だったと思っています。
ここまで一人で抱えて、よく卒業までたどり着きました。あの頃のあなたは、怠けていたというより、怖さとしんどさで動けなくなっていたのだと思います。嘘をついたことも、逃げたことも、いま責め続ける必要はありません。追い詰められながらも転校を選び、最後まで卒業につなげたのは大きな力です。今の生活を10年続けていることも、ちゃんと積み重ねてきた証です。あの時の自分を「失敗」だけで終わらせず、助けを求めるのが苦手な中でも生き抜いた人として、少しずつ許してあげてください。