何で自分のことさえもままならないのに他人を助けたいなんて思えるかね 本当に烏滸がましいとしか思えない 毒親持ちあるあるらしいけど、私にはその感覚は理解出来ないな 悦に浸りたいのかそれとも人を助けることによって自分も救われたと思いたいのかね まず、自分を満足させれない人が他人を救うなんてのは無理な話しなのは分かると思うけど 全部否定するわけじゃないけどね
優先順位のトップが自分でないからかもしれませんね。 これは見聞の範疇で、私個人の意見ではありませんが… 小さい頃から気持ちや意思を蔑ろにされた挙句、親の機嫌をとらないとマズイ状況になりやすい… そういう「自分のことよりも他の人のために言う・動く」必要に駆られる育ち方を、毒親持ちの方の多くは経験されるそうです。 匿名さんのおっしゃる「悦に浸りたいのかそれとも人を助けることによって自分も救われたと思いたいのか」については、 実際の毒親持ちの方が回答しない限り正確ではないかもしれませんが、見聞したことと照らし合わせるならばそうじゃないように思います。 (他の方のコメントにあるメサイアコンプレックスともまた少し違うのかもとも思います) 親との間で積み上げてきたコミュニケーションが、他人とのコミュニケーション・人間関係に少なからず影響しているのかもしれません。 その人その人のこれまでの生き方がどうであったかを知らないと分からないこともありますよね。 全部否定するわけでないにしても、理解するのも難しい。 大したことを書けていませんが、匿名さんのお悩みが少しでも軽くなることを祈っています。長文失礼しました。
メサイアコンプレックスのことですね 他人を救いたいと思うのは、毒親に虐げられた過去の自分を助けたい気持ちの裏返しです なので悦に浸りたいという気持ちではありませんし、本人なりに心の傷を埋めようとする防衛本能みたいなものです 自分と同じような目に遭ってほしくないという願いでもあります もちろんどれだけ役に立てるかを考えたら否定したくもなると思いますが 私が実際メサイアコンプレックスを抱える当事者なのでコメントさせていただきました 長文駄文失礼しました
その感覚、かなり強い違和感として積み重なっているんですね。 「まず自分を何とかしてから」と感じるのは、とても自然ですし、無理に“善いこと”として受け入れなくて大丈夫です。 ただ、他人を助けたい気持ちって、必ずしも自己満足や救済欲だけではなくて、「自分も苦しかったからこそ放っておけない」という形で出ることもあります。未熟さがあっても、誰かを支える行動そのものが全部偽物とは限りません。 大事なのは、助ける側の動機を断罪することより、あなた自身が「その関わり方は自分には合わない」と見極めることです。否定しきれない部分があるのなら、その線引きは保ったままで十分です。