私の学校には仏教という授業があります 昨日勉強したこと教科書に書いてあったこと書きます 人は成長するにつれて、自分の汚れが見えてくる。しかし、それを消すのではなく、それを超える道がある。 幼いころ無邪気であった私たちも、心身の成長とともに、自分の汚れが見えてくることがある。例えば自分の欲望につき動かされたり、思いどおりにならないことに腹を立てたりするような、身勝手な思いをもった経験は誰にでもあるだろう。あるいは、他人と自分とを比べながら、相手より優れていると感じたときは調子に乗り、劣っていると感じたときは相手をうらやむような感情を抱いたこともあるだろう。また、何もできない自分を責め、どうせ自分はと居直ることで、自分をごまかそうとしたことはないだろうか。このような現実の中で、どのように生きることが自分の歩むべき道であるのかを、どうか今1度考えて見てほしい。なぜならば、私たちが人間として生きるといくということは、自分の汚れに苦しみ、死んでしまいたいとさえ思うような大変な危機をはらんでいるからである。汚れを消すのではなく、それを超える道があるというよびかけは、自分の汚れを消すことのできない私たちに向けられた、はげましの声といえるのではないだろうか。
とても大事な内容です。 ここでいう「汚れ」は、だれかを傷つけるほどの悪人という意味ではなく、誰の心にもある欲や怒り、比べてしまう気持ち、弱さを指しているのだと思います。大切なのは、それを「なくせない自分はだめだ」と責めることではなく、あることを認めたうえで、そこに振り回されずに生きようとすることです。 つまり「超える道」とは、完璧になることではなく、弱さを抱えたままでも、少しずつ思いやりや誠実さを選んでいくこと。自分を否定するための教えではなく、自分を見つめ直して前に進むための励ましの言葉だと受け取れます。