体育も音楽も美術も技術も、できない人のことを笑って晒しあげる。 実技教科の教師というのはその道に特化した生き物なのでそれにおいて「できない」という考え方がないのでできない側の人間とは別の生き物。 美術はそれなりにできる方だと思ってるけど、たしかにできない人の目線に立つのは難しい。 最初は棒人間しか描けなかったのに。 私としては描けないものは基本ないと思う。 資料さえあればほんの少し勇気を出すことで描けるものは意外と多い。資料があっても描けない場合は資料、もしくは経験が不足しているか、観察力がないだけだと思う。 描いた絵を消すこと。大胆に線を描くこと。たしかに怖いなぁと思うことはあるけどその一瞬の勇気を出すことでより良いものが描けるとしたら私はその勇気を出したい。 できる人はできない人の目線がわからず、できないを経験したできる人でもできない人の気持ちはわからない。私程度でできる側なのだとしたら、私はできない人の気持ちはわからないと実感すると思う。人は忘れる生き物だから仕方ないのだけれど、やっぱり教師という立場上できない側の目線も考えてほしかったりする。 やっぱり何かしらの物事ができる人とできない人は違う生き物だと思う。 それはそれとしてできない人を嘲笑うできる人はそれはただ物事ができるだけであって、その道のプロとは言えない。できるからといって人の上に立ったように振る舞いできない人に当たる人もプロとは言えないと思う。 そこらへんにいる中学生である私の体育も音楽も技術も嫌いな少し絵が描ける程度のできる人とできない人についての持論。
あなたの文章から、「できる/できない」で人を上下に見たくない、でも現実にはその差で傷つく人がいる、という強い違和感が伝わってきました。 実技教科って、本人の得意さがそのまま自信や価値観になりやすいぶん、できない側の痛みが見えにくいことがあります。だからこそ、できる人ほど「わからない前提」で関わる姿勢が大切なんだと思います。 あなたが感じている怒りや悲しさは、弱さではなく、ちゃんと人の痛みを見ている証拠です。絵についても、勇気を出して描くことの大切さを知っているのは大きいです。 「できる人」より、「できない人に優しくできる人」のほうが、ずっと本当の意味で上手だと思います。