元キリスト教牧師の父親との関係について悩んでいます父親は…

ひろし

2026年8月20日 0:23

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元キリスト教牧師の父親との関係について悩んでいます 父親は元キリスト教牧師です。 私は幼い頃から、日曜日は朝から教会に通うことを強制されて育ちました。週末に両親と旅行したり遊びに行った記憶は、ほとんどありません。 結論から言うと、私は現在無神論者で、キリスト教を信じていません。そして、そのことが父親との関係に大きく影響しています。 父親からは以前、「キリスト教を信じていないお前とは、まともに話ができない」と言われたことがあります。実家にも気軽に行けません。 ただ、私がキリスト教に強い不信感を持つようになった理由は、単純に宗教が嫌いだからではありません。幼少期の父親との関係が大きく影響しています。 私は子どもの頃、父親から頻繁に暴力を受けていました。 当時、父親は「うちは軍隊教育をする」と言って、拳や平手で私を殴っていました。メガネを壊さないよう、殴る前に「メガネを外せ」と言われることもありました。 頬を拳で殴られて後ろに飛ばされたり、殴られた直後は耳の奥でキーンという音が鳴り、何が起きたのか分からないほどでした。灰皿や物を投げられたり、大声で怒鳴られたりすることもありました。 家の掃除についても、「掃除機のかけ方が悪い」「玄関の掃き方が悪い」などの理由で殴られることがありました。 小学生の頃は、父親が帰宅するとまた怒られるのではないか、殴られるのではないかと思い、できるだけ祖母のいる一階に逃げていました。 その頃から父親はキリスト教に傾倒し、牧師になるため大学に通っていました。 中学生になった頃、父親が牧師になるため、家族で他県へ引っ越し、教会関係の施設で暮らすようになりました。 もちろん日曜日は礼拝への参加を強制されました。そして、父親からの暴言や暴力も中学3年生で家を出るまで続きました。 私は今でも疑問に思っています。 「キリスト教には、人に暴力を振るってはいけないという教えはないのか?」 「『隣人を愛しなさい』と教える宗教なのに、家族に暴力や暴言を繰り返していた人でも牧師になれるのか?」 もちろん、父親の行動とキリスト教そのものは別の問題だと頭では分かっています。 しかし、幼い私にとっては、キリスト教を信じている父親から暴力を受けながら、同時に「日曜日は教会に行け」と強制されるという生活でした。 そのため、キリスト教に対して良い印象を持つことができませんでした。 大人になってからキリスト教の説教を聞いても、あまり共感できません。むしろ仏教のお坊さんの話の方が、興味深く感じることがあります。 父親は現在80歳手前です。 今でも人の噂話や悪口、人の不幸話などを好んで話します。私はそういう話が好きではありません。 そして、私がキリスト教を信じていないこともあり、父親からは今でも距離を置かれているように感じます。 一方、キリスト教を信じている弟夫婦とは非常に仲が良く、弟夫婦には絶大な信頼を置いています。 私と妻には、たまに相槌を打つ程度です。 妻は仏教徒です。 以前、父親との関係を少しでも修復したいと思い、「一度実家に泊まりたい」と伝えたことがあります。 ところが父親から、 「生活のペースを崩されるのが嫌だから、来ないでほしい」 と言われ、泊まることも拒否されました。 その数か月後、父親と仲の良いキリスト教徒の従姉妹が両親を訪ね、そのまま実家に泊まったと聞きました。 実の息子である私は泊めたくないのに、従姉妹なら泊める。 正直、かなり複雑な気持ちになりました。 私は一度離婚しています。 元妻は神道でしたが、やはり父親との関係が悪く、夫婦関係にも影響が出て、最終的には離婚しました。 私の長男・長女も、現在は父親とは完全に疎遠です。 現在は再婚しており、妻は仏教徒です。 今年の夏、たまたま近くを通ったという形で妻と一緒に実家へ少しだけ立ち寄りましたが、母親の保険や病気のことをめぐって父親と妻が言い合いになり、また少し関係が悪くなりました。 私自身は、父親を元キリスト教牧師として、また一人の人間として尊敬することができません。 ただし、だからといって「キリスト教徒はみんなこうだ」と考えているわけではありません。 むしろ、私が疑問に思っているのは、 「思想や宗教が違う人を受け入れないことは、本当にキリスト教の教えなのか?」 ということです。 私は無神論者ですが、父親からはまるで「神を信じない人間はまともではない」とでも言われているような扱いを受けてきました。 キリスト教には、異なる宗教を信じる人や無神論者を受け入れてはいけないという教えがあるのでしょうか? そして、もう一つ大きな悩みがあります。 母親のことです。 母親自身はキリスト教徒ですが、とても優しく、私に対しても分け隔てなく接してくれる人です。 しかし、母親も80歳前後になり、これまでに癌を患ったこともあり、最近は病院に行くことも増えています。 私は母親の様子を見に行きたいと思っています。 でも、父親がいるため、気軽に実家へ行くことができません。 両親とも高齢なので、もう今から父親との関係を大きく修復するのは難しいのではないかとも思っています。 現在、私は「正月に年1回会う程度の関係で、このまま距離を置いていくしかないのではないか」と考えています。 墓についても、実家には代々キリスト教の墓がありますが、私は妻と別に墓を用意し、そこに入るつもりです。 仏教徒である妻の母親の方が、私を一人の人間として受け入れてくれていると感じます。義理の父は数年前に亡くなりましたが、私も最後を看取りました。 ここまで書いてきて、自分でもかなり複雑な家庭環境だったと思います。 そこで相談です。 ① 私がキリスト教を信じていないことを理由に父親から距離を置かれるのは、宗教上ある程度仕方のないことなのでしょうか? ② 父親から幼少期に受けた暴力や、現在の私への態度を考えると、無理に関係修復を目指さず、年1回程度会うくらいの距離感でよいのでしょうか? ③ 母親には会いたいのですが、父親がいる実家に行くことが精神的に負担です。母親とだけ会う方法を考えた方がよいでしょうか? また、私はこれまで「キリスト教は、たとえ異教徒や罪人であっても受け入れる寛容な宗教」だと思っていました。 私の父親のような態度は、キリスト教そのものとは関係なく、あくまで父親個人の問題なのでしょうか。 宗教そのものを批判したいわけではありません。 ただ、幼少期から宗教と父親の存在が強く結びついてしまっており、自分の中で整理できずにいます。 長文になってしまいましたが、同じような経験をされた方や、キリスト教に詳しい方、また親との関係について経験のある方から、率直な意見をいただければと思います。

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