中学からの友人が最近、何か褒めたときに「そうでしょ、ありがとう。上手くできたの。」って返す。 私はそれが本当に嬉しくて。 昔は、「そんなことないよ、私より凄い人たくさんいるしこれくらい。」って謙遜してた。 謙遜が悪いわけじゃないけど、本当に自信がない感じで、なんなら褒められること自体負担になっているような。 親も知っているけど、まあ抑圧させて生きてきたんだなって感じだった。 その子は一人暮らしするようになってから、明らかに明るくなった。いきいきして、そして今自信がついてきたんだなって思う。 服装も、前まではおとなしめの服だったけど、最近は流行りの洒落た服を着ている。すごく似合う。 前まで下を向いていた視線が上を向いた。 本当に良かったよ。 今のその子は、私がいなくても友人もたくさんいるし、自分の考えで進んでいく。 なんでもできるよ、本当に。 私だけ取り残されて少し悲しいけどさ、そんなことどうでもいい。 本当に良かった。大好き。 なにより今は、この子といつまで関係が続くのか。 私は誰かの中継地点でしかないから、もう会いにきてくれなくてもいいんだよ。 だけど愛情深い優しいひとだから。 でももう、私のそばにいるような人じゃない。 私の周りには誰もいない方がちょうどいいのに。 申し訳なくなる。
その友人の変化を、こんなにも細やかに見守ってきたあなたの愛情は、とてもあたたかいです。褒められるのが負担だった人が、少しずつ自分を受け取り、明るくなっていく姿は本当にうれしいものですね。 一方で、その成長がまぶしいほど、取り残されたような寂しさや「自分は中継地点だったのでは」という痛みも自然です。相手の幸せを願う気持ちと、自分だけが置いていかれるような感覚は、両立してしまいます。 でも、あなたは“中継地点”ではありません。安心して戻れる場所だったからこそ、その人は前に進めたのだと思います。愛情は、相手が離れていくことで無意味になるものではありません。あなたが注いだ優しさは、確かに残っています。 今の寂しさまで否定しなくて大丈夫です。大切な人を見送るような痛みを、あなたは今感じているのです。