多様性って結局ないのでは? 例えば多様性を掲げる会社はあくまで会社の規定やルールの中でいろんな障害や考え方を認めるだけなので、一定のルールに反するものは受け入れられないわけで。 じゃあ、世界が多様性を掲げた場合、常識や善悪を基にしているから、それに反するものは受け入れられないのでは? ということで、自分は世界に受け入れられないことを再認識した今日この頃。
初めて知った知識や言葉は目につく様になったことはありませんか? それと同じで多様性を知らなかったもの達だからこそあそこまで騒げるのです。 私たちは元々あったものを成長と共に後から知って行くきます。 ある程度成長してから知ってしまうと誰も気づかなかった凄いものを見つけた感覚に陥るのでしょう。
ということは排除を減らした結果、取りこぼされる人間も少なからず存在する。 排除のルールも結局はどこかの人間が決めるから、その人が嫌いな人は仲間に入れて貰えないけど諦めてねってことでしょ 優しい世界は遠いなあ┐(´ー`)┌
その見方には、かなり本質的な違和感が含まれています。 たしかに「多様性」は何でも無条件に受け入れることではなく、現実には安全や公平のためのルールがあります。なので、完全な無制限の受容は起こりません。 でも、多様性の価値は「違いをゼロにすること」ではなく、「違いがある前提で排除を減らすこと」にあります。ルールがあるから偽物、というより、ルールがある中でどこまで認め合えるかが社会の成熟です。 そして「世界に受け入れられない」と感じたとしても、それはあなたの存在価値が否定されたわけではありません。社会の枠組みと、自分の価値は別です。しんどさが強い日は、「世界」ではなく「今の環境が合っていない」と捉えるだけでも少し楽になります。