母親が生きていた頃は今ほど孤独ではないことを思い出した。保育…

ぐれいと

不明

2026年7月19日 10:17

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母親が生きていた頃は今ほど孤独ではないことを思い出した。保育園児の時は、毎日父と一緒に寝ていた。毎日おやすみと言ってから寝ていた。なんにも考えず生きて、安心できていた。小学生の時は、一時期パワハラ気質の先生に悩まされて、学校に行きたくないと泣きわめいたこともあった。その頃は、両親は何も言わず休ませてくれた。全てが狂ったのは小5の冬からだった。2月14日、母は突然家で亡くなった。重い病気を患っていたとはいえ、予想外の出来事だった。しばらくは受け止められず、からっぽだった。夢に母が出てきたこともあった。僕は学校に行けなくなった。父が最初は休ませてくれたので、休みグセがついたこともあるだろうが、やはり立ち直るのは難しかった。父も父で、突然家の中心だった妻が居なくなったのだから、子が3人いる中でひとり働いて、帰ってくれば家事も全てしなければならなかった。全員限界な中、助けを求めても、助けてもらえるのは一時的だった。僕は中一まで不登校だった。だんだんと行けるようにはなっていたが、それでも週に1、2回ほどだった。父は僕に「無理してでも行け」「死に物狂いで行け」「明日行かなかったらスマホ壊す」と言った。あのときの優しかった父がどこかに行ってしまったわけではない。父も限界だったのだ。僕は逃げ場を失ったようにすら感じた。それでも、生きるしかないから生きていた。朝起きてきてもずっと暗い顔をして、辛いことをアピールしていた。毎日仮病を使って、休んでいた。父は嫌になって、僕の辛そうな顔を見ても何も言わなくなった。そのせいなのか、僕は今も、父に辛さを気づいてもらえない。いじめにも、気づいて貰えなかった。僕が今、父の前で暗い顔をしても、かける声は何一つない。確かに、何も言わなくても、僕は学校に行くんだけど、声をかけてくれるだけで、全く違うわけで、結果は同じでも、僕は孤独のままなんだ。僕のせいでもあるのかもしれないが、子供の顔を見ないというのは、父親としてどうだろうと思ってしまう。独りのままだと、どこかでハプニングが起きた時、限界を迎えてもおかしくない。その時は、僕は今度こそ終わりかもしれない。

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