前回の投稿から、「心の在り処」について考えがまた少しアップデ…

スズラン

不明

2026年6月22日 23:23

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前回の投稿から、「心の在り処」について考えがまた少しアップデートした気がするので、書き出してみる。 これまでの持論は、昔の偉人の考えをなぞってきたような感じ。 ヒポクラテス「脳にある」 アリストテレス「胸(心臓)にある」 「そもそも在り処を問うこと自体が間違いだ」とギルバート・ライル? だったか、哲学者と同じように考えた時期もある。 どれも間違いだとは思わないけど、私の持論は上記とは別のところで落ち着いた。「魂にある」 感情を司る場所があるから脳だ、というのは人間の構造上、容易に頷ける考えだとは思うけれども、 前回の投稿にしたためた「意識するよりも先に」というのは、やっぱり脳じゃないんだと考えるきっかけとなった。 脳にあるならそんなラグは発生しないだろうし、あくまでも脳は「動かされた心」の波形か何かを、「それは感動だね、嬉しさもあるね」とかって処理をするだけにすぎないんじゃないかって思う。 海外はどうか知らないが、日本には胸(心臓)やら腹を用いて感情を伝える表現が数多くある。 「胸騒ぎがする」→心配事や悪い予感など、心が落ち着かない 「胸を痛める」→悲しい出来事などに対して、深く同情し心を痛めること 「腹を割って話そう」→本音(本心)で話そう 「腹に据えかねる」→怒りや不満を心に留めおくことが難しくなって、我慢の限界を超えること だが、胸や腹を開いてみても、知れた臓器たちがあるだけで心はない。 感覚としてのみ、胸や腹で感じ取りやすいだけかもしれない。 臓器といった有形で存在していないけれども、一人一人の内側にぼんやりと思い当たるくらいには存在を認めている。 心の在り処、それは魂と密接に結びついているんじゃないか? というのが私の持論だ。 私がたまに書いている「人間性」もこの魂と密接に結びついていると思っている。 「心」や「人間性」を纏った魂は一人一人違い、それを目に見える形で証明することはできない。 人は生きているうちしか、感情を表現できない。

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