愚痴の種類で好き勝手に持論を書いてるだけの者だけど、 元からメンタルが強い人間ってわけじゃなかったのね、私。 なんなら、今も強いとは思っていない。強いて言うなら、「弱くはなくなっただけ」 私の持論は説教がましかったり、上から目線に感じる人も居るには居るだろうけど、 そう思う人たちとわざわざ喧嘩なんてしたくないのね。基本平和主義だし。 「そんなこと…やって出来るなら、とうにやってるよ!」って言われても仕方ないことを、多々書いている自覚はある。 でもね……、私とて元は同じ考えをしていたんだよ。「出来る人がやって出来るからってご高説垂れられても……」って。 ――同じように考えていたはずの人間が、今違うのはなぜか。 ――なぜ、立場が逆転しているのか。 いろんな方法があるんだとは思うけれども、私の場合は「出来るまでトライ&エラーを繰り返した」のね。 それも、ただ馬鹿みたいに繰り返すわけじゃない。 挫ける(失敗する)たびに「努力の方向性が違うのか、努力量が足りないのか、それ以外か」を熟考する。 そうして、膝に手をついて「さぁ、もうひとチャレンジだ」と立ち上がる。 そういう思考作業を欠かさず入れる繰り返しでもって、出来る(成功する)までやっただけ。 本当に努力型の人間だからこそ、「努力」の言葉の重みを分かったうえで使っているのね。 もちろん、上記の他に、心のための行動も同時進行していた。 決してへこたれない、ちょっとやそっとじゃ折れない心作り。 私としてはそれを「自分との対話」みたいな言葉で考えていたんだけれども、 どうやら私のやり方は心理学でお馴染みのフロイトさんの精神分析とほとんど同じらしい。それを2、3年前に知った。 セルフ精神分析とか……、我ながら痛いこと言ってるなぁとは思うけれども、凪のように落ち着き払ったメンタルを それこそ、十数年以上続けてこられているわけだから、決して無駄じゃなかったって言いきれる。 ――人は自覚している以上に自分のことが分かっていない―― というのは、本当に的を得た言葉だと思う。 どれだけ精神分析を繰り返しても、いまだに自分という人間を知りきれたとは思えない。 でも、良くも悪くも自分という一人の人間の扱いを、他の誰でもない私が一番よく知っているというのは、 人生を生きるうえでこれ以上ないヒントだと思う。