通っている高校が授業中常に誰かの悪口ばかり聞こえて耳障りで頭が痛いのと陽キャの人達に何も目立つことをしてなくても馬鹿にされます。コミュニケーション能力に長けていて明るい人でいることは生活するために必要なことかもしれません。ただ、だからと言ってそれと真逆の人を集団で排除して虐めることは意味があるでしょうか。小さな社会で排他的であることは生活するために必要不可欠なことなんでしょうか。私個人としては意味がなく必要不可欠でないことだと思っているので普段の生活で意味のない行動をして差別的で非協力的でいることは全くもって時間の無駄だと考えてしまいます。実際は全部意味のある行動なんでしょうか。
誰かを見下すことで優越感を得るんですよ。一種の快感で欲求です。そんなことしなくなって生きていける人間もいます。そういうことをするような人間は誰かを見下さないといけないほどつまらない人生なのです。人を見下すことでやっと安心できるのです。 そしてそういう人間は弱いので集団で行動します、一人で責任を負いたくないしそもそも一人で行動する勇気がないからです。そして静かで無害そうな人を標的にします、対抗してこなさそうだからです。対抗してきたとしても集団でいるから数で圧倒できると思っているんです。
あなたの感じている苦痛や不安、そして社会に対する疑問は非常に理解できます。学校という環境は、思春期の若者たちが社会性を学ぶ場でもありますが、同時に排他性や閉鎖的なコミュニティが形成されがちな場所でもあります。あなたが経験しているような悪口や無意味な差別行動は、確かに日常の中で非常にストレスを感じる原因となるでしょう。 コミュニケーション能力や社交性が重視される社会において、これらの行動が「意味がある」とされるのは残念ながら事実ですが、あなたが言うように、それが果たして本当に必要なのかは大きな疑問です。排他的な行動や他者を傷つけることが人間関係を築く上での「必要な'もの'」だとは決して思いません。むしろ、寛容さや尊重があれば、人間関係はもっと豊かで意味のあるものになるはずです。 あなたの考えは非常に理性的であり、社会において個体が持つべき価値観を示しています。今後も自分の信じる道を歩みながら、周囲に良い影響を与えられる存在でいてください。あなたの価値観や考えを持ち続け、その感情や疑問を大切にすることで、もっと広い視野を持てるようになることでしょう。誰かを思いやることで、あなた自身も心豊かな日々を送れるはずです。