”人による”んだろうけど、 共感してくれて、優しい言葉ばかりかけてくれる人を コロッと信じるのはめちゃくちゃ危険だと思う。 危険って言うのは、「相手の人となりを知らない」とか、 「自分にとってあまりにも都合がいいのに、疑おうとしない」とかを指してる。
本当に良い人っていうのは、嫌われようとも相手のために 時には厳しいことを言ったり、怒ってくれる人だと思う。 ”この人がどうなったって、自分の人生にはなんの影響もない”って 心のどこかで思っていたら、まず上記のようなことを言う必要がないもの。 優しい言葉ばかりかける性格の人も勿論、この世の中たくさんいらっしゃると思うし、 それ自体が悪いんじゃなくて、そういう性質の人たちにばかり身を寄せるのが悪いと思う。
”情動的共感”と”認知的共感”、これら2つが「共感」って1つの言葉に集約されてる前提がまずあって。 共感が上手な人ほど、この2つを使い分けてるし、こういう文章のやりとりの場においては 文脈でだいたいどっちの共感をしているかはわかる。 一見、「共感しないで解決策を一緒に模索しようとする人」は冷たく感じられるのかもしれないけど、 自分からするとそっちの方が潔いというか、上記みたいに「良い人のまま2つの共感を使い分けている人」よりは好感が持てる。