少し重い話になるんですが、私は人の死に対してあまり悲しいと思ったことがありません。最近死生学というものを習ったのですが、聞いているうち、私は冷たい人間なのではないかと不安になりました。私が体験した身近な死の体験は、最近だと曽祖母が亡くなったことです。曽祖母は幼少の頃から知っており、関わりも深かったです。しかし亡くなってしまった時、私は泣けませんでした。死ぬ間際に顔を見に行った際には、何故か目から涙が出ましたが、頭では何も考えておらず、私は何故泣いているのかと、自問していました。お葬式の時、叔母は嗚咽を漏らして泣いていました。私はそんな叔母たちを見ても、なんとも思えず、ただただ儀式を見ていました。今まで色んなことを話してくれたり、会ったりしたのに、なんて罰当たりな奴なんだと自分で思っています。でも悲しくはないんです。思っても、「あぁ、ここに座ってたっけ」だとか、「これ好きだったよなぁ、お供えしたら良いかも」としか思いません。客観的に、みんな悲しそう、辛いだろうな、とまるで他人事のように見てしまいます。最低です。こんな自分やはり最低ですよね。どうしたらこんなふうに客観的に見るのを直せますか?本当に悩んでます。
「悲しみ」についての感じ方、また身近な方が亡くなった場合の「悲しみ」を感じるタイミングは人それぞれだと思います。 決して「最低」なことではありません。 例えば、「亡くなることを覚悟していた」場合。 心の準備ができていたので、人によっては少し冷静に死を受け入れられているかもしれません。 亡くなったことをまだ現実と受け入れられてない。 この場合は、「まだ生きている」という気持ちがあるため、悲しみのタイミングがズレてくるかもしれません。 人によっては、何回忌かのタイミングでようやく死を受け入れ、悲しみがあらわれるかもしれません。 また、人にもよりますが「故人に対して後悔が無い」場合も悲しみは少ないかもしれません。 むしろ、清々しい気持ちの方もいるでしょう。 そして、他の方の「悲しみ」を目の当たりにすると自分の悲しみが引く方もいます。 例えば、卒業式などで「お別れが悲しい」と思い泣きそうな時、同級生がギャン泣きしてるのを見て冷める方がいたりします。 必ずしも身近な人が亡くなったことを「悲しい」という感情だけが支配するわけでもありません。 そして、「悲しみ=涙」でもありません。 死に対しての受け止め方はヒトそれぞれです。正解はありません。 どつぞ、故人を時折思い出し想ってあげてください。