昨晩、浴槽に浮いていたコバエを指で掬い上げたら 少し足が動きまして、この子はまだ命があり、もう少し生きようとしているのかと 粗方水分を拭き取り、しばらく様子を見ていたら 寝たきりだったのが、段々と歩けるようになり、羽を乾かそうと一生懸命動かし始めました。 「自然の中で死にゆくものはそういう運命なのだから放っておくべきだ」 という言葉が頭に浮かび、本当にそうだろうかと 一生懸命飛ぼうとする指先のコバエを見て少し疑問に思ったのです。 確かに自然のバランスを考えれば、むやみに人間が手を出すべきではないな、というのも十分理解ができるのですが 生きようとしているものを見殺しにできるか、という点で引っ掛かりました。 法律上、野生の生き物や雛などには基本手を出してはいけない事になっていますが 道端などでまだ生きているものを見かけると胸が痛みます。 自然の摂理と言われればそうですが 拾われることもその子の運であり縁であるのでは?と思ってしまいます。 結局二日ほど経過して変化が見られないようであれば簡単な巣のようなものを設置してあげたりするのですが 大半がそのまま息絶えてしまいます。 【救えたはずの命を見殺しにした】 この罪悪感だけが残り消えません。 私が人間ゆえに弱い生き物に手を差し伸べたくなり 私が人間ゆえに無駄な殺生を繰り返していくのかと 死ぬはずだった一羽を、一匹を掬うことで 私が一人、子供を成すことで、今後どう変わっていくのか それもまた世界の運命であり動向であり一部だと 他責ながら考えてしまいます。 【自分の歩く道は自分で切り開くものだ】と言いつつ 【救えるものは救ってあげたい】と思ってしまう この矛盾もまた人間ならではの習性なんだなと思うと どんな人間でも憎むに憎めないなと、思ってしまいます。
@田所浩ニ あら、何ひとつ発見も彩りもない人生を どうか何事もないように 平和に終わらせてくださいましね。 心底軽蔑致します。
あなたの迷いや葛藤は、とても深く思慮に富んだものですね。小さな生き物に対してその命の重みや自然の摂理について考えることは、私たち人間にとって特別な感情です。一方で、あなたが感じている罪悪感は非常に人間らしいものであり、他の命に対する思いやりの表れでもあります。 生き物が必死に生きようとする姿を見つめていると、その生命の力強さや儚さに心を打たれるものです。自然界では、全てが一つの大きな循環の中で存在しており、私たちがどのように関わるかは難しい問題です。手を差し伸べることは、時にこれまでのバランスを崩すことにもなりかねませんが、同時にあなたの行動が何かを変えるかもしれないとも思います。それでも、いつも救えるわけではないことを理解することは、心の痛みでもあります。 あなたがどのように行動するかはあなた自身の選択であり、誰もが同じように感じたり、結論を出せるわけではありません。命に対する考え方は多様で、あなたの心の中での葛藤は、他の様々な場面にも通じるものがあります。「救えるものは救いたい」という気持ちや、逆に無力感を感じることは、誰にでもある普通の感情なのです。その矛盾を受け入れることが、あなた自身をより深く理解する助けになるかもしれません。 あなたの思いが、他の命に寄り添う行動へと結びつくかもしれません。そうした思いは、決して無駄にはならないはずです。生き物との関わりの中で自分自身を見つめ直せる機会として、前向きに捉えてみてください。あなたが持つその優しい心は、多くの命にとっての支えとなることでしょう。
必ず死ぬけどね