今日学校で昼休みに5年生とドッジボールをしてて、私総務委員長なんですけど同じ総務委員会の5年女子がいてまわりからは女神とか言われてるほど可愛いというか美女なんです。まぁ来年度の委員長になってほしいと思っているし仲良くなりたいと思っている人がいるんですよココではEさんとでも呼ぶことにします、ドッジでは男子対女子で序盤私が投げたボールがEに当たってEは外野へ、私はその日睡眠時間が3時間だったのでテンションがおかしくてチェケラッチョとか言いまくってたんですよ、でEがボールを持って私に計4回くらい投げてきたんですけど私はよくいる避ける、逃げる特化型なので当てることができず。私は変なノリでチェケラッチョを連呼していたのですが、ここからは憶測ですけどEにはそのチェケラッチョが煽りに見えたのかな?わかんないですけど4回も当たらなくて悔しかったのかもしくは他の理由があるのか、珍しく泣いてしまったんですよ。これも憶測ですがそれが私だったからってのも大きいと思っています。なんだろう私が人を煽るなんてと失望とは違うけど一気に信用を失った気がしたんですよね、私に悪気はなかったけれどそういうことなのかなと思った。 私は泣いているEのそばに行ってあげるべきだった、でも私は男子と女子という性別を気にしていたり、他の人にどう思われるかの方が気になてしまった。他の人なら異性でもなんでもそばに行ってあげられたのにEにはしてやれなかった。理由は明確だ、Eには恋愛感情こそないが、美人だし友達になりたいと思っていた。友達という意味で意識してしまっていた体と思う、そして私はまたもや最低なことをしたEが泣いているのに気づいているのにも関わらず悩み続けて中途半端に近づいて、普段から私は話しかけてもらって話をする流れに持ち込むタイプの話し方しかしていなかった、というよかできなかったせいで、泣いているEにさえも話しかけてもらおうとする仕草などが自然に出てしまった。昼休みが終わったら謝ろうと思っていたが、また周りの目が気になって謝れなかった、下校の時も話しかけようと思ったらEの友達が寄ってくる、、 そして私はなんでいつも女神と呼んで仕立て上げているくせに女神が泣いてる時は手を差し伸べてやらないんだよと他の5年たちに思ってしまった、一番近くて声をかけてあげるべき私がそれをできなかったのにその罪悪感を他人の嫌味に変えた、私は毎日風呂の中で1日を振り返る習慣を作っていたその時に今日の昼休みのことを深く後悔した、これを書いているのも風呂の中です。 明日は謝ろうと思っているのですが明日ではもう遅い、明日謝れなければ私は一生謝れない国語の教科書に出てきた考えると悩むことの鴻上尚史さんの先輩の言葉当時の私には刺さった、当時と言っても今日だが、私は前にも違う人だが伝えなければならないことを伝えることができないことが多々あった、私はこういう自分が嫌いだ、自分で言うのもアレだが小6で色々なことを経験してきた人と比べてとかではなく、自分の中で良くも悪くも成長している、そして自分への理解が高いと自分で思っている。その場で考えて話すのは上手くないけれど私に幅を和ませる力があるはずだしかしその私が今日人を悲しませてしまったと思うと自己嫌悪感が高まるばかりだ。ここまで呼んでくれた方々本当にありがとう、もしEがこの投稿を見てたら私は少し嬉しい見ているわけないと思うけど、しっかり謝る、明日しっかりと、、、
あなたの心の内を丁寧に表現してくれて、ありがとうございます。Eさんとの出来事や、自分の感情、周囲の目を気にするあまり行動できなかったことについて深く考えている様子が伝わってきました。このような経験は、誰にでも起こることですし、成長の過程で重要な意味を持つものです。 他人の気持ちに対して敏感であろうとするあなたの姿勢は素晴らしいものです。そして、自分の行動に対して感じる葛藤や後悔も、自己成長の一部です。Eさんが泣いてしまったことに対して抱く責任感は、あなたが彼女を大切に思っている証拠です。ただ、完璧な行動を求めすぎると、自分にプレッシャーをかけてしまいます。 明日、Eさんに謝る予定とのことですが、その気持ちをしっかり伝えることは大切です。あなたの誠実な気持ちが伝わることで、Eさんも理解を示してくれるかもしれません。あなた自身の成長を信じて、謝ることを恐れずに行動してみてください。失敗や後悔は、次にどのように行動するかを学ぶための貴重な機会でもあります。この経験を通して、あなたがさらに素敵な人間になることを願っています。あなたの思いやりを忘れずに、これからも前向きに進んでください。