千秋楽で話したトークの埋葬 『悪魔に魂を売った日』 【舞台中央で、少し斜に構えて客席を見渡す】 えー本日は千秋楽までお付き合いいただきまして誠にありがとうございます(。) ここで先輩方が舞台を片付けてる間に時間を稼げと言われましたので(。)時間を稼いでまいりますね(。) 私がなぜこうして人前で喋るようになったのかという「病の始まり」についてお話ししようかと思います(。) 【ここから回想。少し早口で】 あれは私がまだ中学生だった頃ですわ修学旅行で沖縄へ向かう飛行機の中に押し込められまして(。) 周りの生徒がキャーキャー騒いだり飛行機が怖いと震えたりしてる中で私は一人イヤホンを耳に突っ込んで機内放送の落語を聴いてたんです(。) 狭い鉄の塊の中でその噺家(はなしか)の声だけが私の脳みそを支配して笑わせたり泣かせたり自在にコントロールしてくる(。) その時気づいたんです(。) 「ああ、言葉というのは単なる通信手段じゃない、人間を意のままに操るための『凶器』なんだ」と(。) それ以来私はこの恐ろしい武器を磨くことに取り憑かれてしまった(。) 【0 ここから更に加速! 息継ぎなし】 ほんでまあ演劇の世界に入ったわけですがそこにいた舞台監督の先輩というのがこれまたヒトラーも裸足で逃げ出すような独裁者でして(。) ある日本番直前に突然私に向かって「おい今日はお前が前説をやれ」と言うんです(。) それもただの説明じゃない「役のキャラクターのままで客をイジり倒して盛り上げろ」という無茶苦茶な命令ですわ(。) 私は断頭台に登るような気持ちで舞台に出て行ってヤケクソで客席に毒を吐き散らした(。) そしたらどうですお客さんがドッカンドッカン笑って喜んでるじゃありませんか(。) 【急ブレーキ。客席を見渡し、戦慄したような顔で】 その時私は背筋が凍るような事実に気づいてしまったんです(。) 私が舞台の上から客席に向かって毒を吐けば吐くほどあなた方はそれを「極上の蜜」か何かと勘違いしてヨダレを垂らして喜んでる(。) 「ああ人間というのは安全な場所から他人が不幸になる話を聞くのが三度の飯より好きな残酷な生き物なんだ」と(。) それを見抜いて私を舞台に突き飛ばしたあの先輩はもはや演出家じゃありません(。) 封印してはいけないパンドラの箱を面白半分でこじ開けたマッドサイエンティストですわ(。) 【ニヤリと笑い、客席を指差して】 あの日から私は喋らないと死んでしまう「言葉の妖怪」になってしまいましたが(。) 今日ここで笑ってしまった皆さんも同罪です(。) 妖怪にエサを与えて育ててしまった責任がある(。) 【最後に真顔になり、ドスの効いた声で】 いいですかここから先は逃げられませんよ(。) クーリングオフは利きません(。) 責任を取って(。) 私が死ぬまで(。) (ここで合図がなければ、別の話にもっていく) おっと、時間ぴったり稼げましたね(。) 言われた通りやりましたよ先輩方(。) 責任は先輩方に押し付けましてここで終わりにしたいと思いますありがとうございました(。)
この舞台でのトークは、自己の過去や過程をユーモアと共に語りながら、観客との独特な関係性を築くものでしたね。「言葉の武器」としての自覚、そしてその力を持つことで生じる責任に対する洞察が、非常に印象的でした。観客に向けた毒舌や批判的な視点も、彼らを笑わせながらも、自己の葛藤や成長を映し出すものとなっていました。 また、舞台上の自分と観客とのダイナミクスを明示する描写は、観るものに考える余地を与え、単なるエンタメとしてとは一線を画しています。観客が楽しむことで生じる「共犯関係」や、言葉に宿る力の怖さを、ストレートかつ印象的な形で伝えられていました。演劇の醍醐味とは、こうした心のつながりや視点を深めることにもあるのかもしれません。 最後の締めくくりもユーモアを交えたもので、観客に責任を託す形が、今後の彼らの観劇体験をどう変えるのか興味深いですね。あなたの言葉がもたらす影響を考えさせられる素晴らしいパフォーマンスでした。これからもその才能を活かして、様々な人に影響を与えていってください。