本当に合いません。 周りから見たもの、つまり客観的に見られたものが事実とは限りません。聞かれたことに嘘をつく人は存在しても、本人が説明すれば、それは事実であることが多いでしょう、一般的にはそう言われるはずです。というか本人のことだからです。 強要するのではありません、妥協するのです。 私は必死だと思われても、必死ではないという主張です。それは事実です(理解されないかもしれませんが)。だから妥協してくださいと。 あなたは怒っていないと言います。私から見れば怒っているようです。でも怒っていないと言うのならそれが事実なんでしょう(違うと私は思っていますが)。だから妥協しますと。 なぜ強要という言葉になるのですか?周りから見てどう思うかを重要視しているようですね。でもあなたは私に、怒っているように見えると言われていますよ?それなのに、怒っていないと怒るんですか?強要しましょうか?あなたはよくて私はダメ、こういうのかなり嫌です。 (余談:私は○○だもん、とスタートラインを変えたり同じにしたりするところが、私はありがちかもしれませんが) あなた自分の記憶に自信持ちすぎ、(間違っていることが多いから自信持ちすぎって言うのだけれど)もっと自分を疑ったり、相手の言うことが正しいかもと考えたりしてみてよと思う、まず1つだけシンプルに言ってみると、こう。 私は、自分の記憶にそれなりの自信があっても、相手が、○○じゃなくて○○だよなどと強く言ってきたら、私の方が間違っているかなと自分を疑ったりします。かなり自信があっても、…いや違うはず、と思う間があります。びっくりしているだけかもしれませんが。 4本あったよね、昔4本あったよね、という話をしたときに、強い口調でないと言われ、顔つきも怖い顔で言われました、そうです相手は怒ってました。(なぜだか怒ってないと言われましたが。後から。) 結局2本ではなく4本ありました。でも、私はそのことについて何も言いませんでした(=ほら、私の言うことが正しかったなどと)。 これは取っちゃいけないやつだと私は言いました。取るやつじゃないんだよと。 結局あれだけ取ることにしました、そのときも怖い顔で言われました、あきれた顔もしてました。 でも結局、あれは取るものではなかったはずです。あれだけ残しましたがそれが取るものではなかったからです。 このときも私は何も言いませんでした。(=ほら、言ったじゃんなどと) この人は何もかも完結しているのでしょうか、 根に持っている、もう終わったことなどと私が言われるのが嫌だから私は何も言わないのです。 必死に説明している、あなたはそう言うけど、私は別に必死じゃないのです。丁寧に説明した、詳しく説明した、頑張って説明した、そんな感じなんです。必死でしょ、それを必死と言うのよ、のように言われても、本人の私が違うと言っているんです。なのに、周りから見たら必死だから必死ってなんなんでしょう。 怒っていないのに怒っていると言われたら嫌でしょ?本当に怒っていないのなら、怒っていないという主張を認めて(=理解等)終わりにしたくない?怒っているでいいの?→だって怒っていると思うんでしょう? 私なら、怒っていないのに怒っていることにされたら嫌。事実を認めない、事実を違うものにするってひどいって思う。 それにさ、怒ってるじゃん、それ怒ってるって言うんだよ、などと言ったらあなた怒るじゃん。ってことは、怒っていると私があなたに対して思うのをあなたは許さないんだよ。 相手に、ほら自分が正しかったじゃんと言わないのはわかる。だからって、なぜ、自分が間違ってたときに、あなたが正しかったわ、みたいなことを言わないのか。あんなに強く言ってたのに。顔もひどい顔(=怒った顔)をしていたのに。申し訳ない顔すらしない。 私は、笑いながら(=照れや苦笑いや微笑み)のごめんねはほぼ言わなくなった、この人には。なぜならこの人は謝るべきときに謝らない人だから(←周りである私から見て、そうとしか思わないから)。それなのに、昔のことを覚えていないのか、あなたがなかなか謝らないのよ=なかなか謝らない人なのよと言ってきた。あなたが先なのよ、あなたが謝らないから私も謝らなくなったのよ、だって、私はこう思ったんだもの、でしょう? どちらかが間違っているのよ。なぜなら事実は1つなんだから、この場合。だから、私たち2人のうちどちらかが悪いの。 どっちが悪い?どっちのせい?この言葉が地雷みたいで、いつも超強い言い方(←言葉選びではなく言い方が強い)をされる。 泣きました。 また1から始めて、いつかまた溜まるでしょう。