祖母に同情すべきか? 祖母はワガママ、かまってちゃん、鬱病(おそらく躁鬱)で孫の私が子供の頃からかなり振り回されました。 具体的には死を仄めかすことを言い続け、精神的に支配されたり。とにかく浮き沈みが激しいのと、口を開けば何かに対する悪口ばっかりです。私たち家族より自分が一番可愛くて、そして可哀想な自分に仕立て上げることしかしてきませんでした。何かにつけて被害者意識が酷いです。 そのため周りはどんどん離れていき縁を切られてる状態です。 私と母だけは見放さずに最低限世話をしてる感じてす。 祖母はこれまで独り暮しでしたが、数年前に倒れて施設で生活してます。しかしとにかく共同生活に向いてない性格なので施設でもワガママ放題です。どこの施設行ってもご飯が美味しくないと、自分で調理を始め始末です。 そのため2回ほど施設を追い出されてしまい、受け入れ先がなく、仕方なく今は県内でも少し離れた病院の中にある療養型施設に行く事になりました。 そこの施設に行く事になった際も、母に対し姥捨山に捨てるんだとか、お前の本性が分かったとか散々暴言を吐いたそうです。 一ヶ月ぶりに会いに行きましたが、やはりご飯が美味しくないから食べないからと、 鼻からチューブ挿されてました。 家族になんの相談もなくそんな状態となった姿を見た母はかなりショックを受けておりました。そして周りは重症患者ばかりで話もできない、奇声をあげるような人たちしかいなく、そして臭いも酷い部屋で祖母はいました。 母が『鼻からチューブってもう最終手段なのに、こうなっちゃったら終わりよね。なんか病院側が重症患者に仕立て上げてるよう。このまま亡くなっちゃたら後悔するとは分かってるけど、でも受け入れてくれる施設もないし見つけてもまたその手間をかけても追い出されるだろうし。祖母は私を恨んで死ぬんだろうな。。』と言ってました。 私はとにかく母が苦しむのを見るのが辛く『祖母に恨まれる筋合いもないが、祖母は今まで自業自得でこうなってる。ご飯を食べないという自分のワガママで今もこうなってる訳で、私たちでどうにかできることもない。仕方ないんだよ』と慰めのつもりで言いましたが、やはり母は落ち込んでましたね。。 祖母に苦しめ続けられてきましたが、それでも苦しんで死ぬのは見てられません。いつだってみんなが幸せでいてほしいだけなのに何でみんなして不幸になるんでしょうか。 私だって悩みはありますが幸せな瞬間もあります。私だけこんなことしてていいのだろうかとも思います。 同情しても何もできないがどうしたらいいか
@あ あ様も大変ですね.. 母を苦しめる姿を見ることって辛いですよね。。 お祖母さんが施設に入居してくれれば一番いいと思いますが、それはやはり難しいのでしょうか..?
私も似たような状況です 母が苦しむ姿を見ていられません うちの祖母も投稿者様と同じく気性が荒いので、施設にすら入ってもらえません 私は正直、祖母には死んでもらうか、施設に入ってほしいなぁと思っているのです なぜなら、母を苦しめているから 投稿者様の状況は少しうらやましいですが、祖母にははやく死んでもらいたいです
幸も不幸もありません 人間だけが幸せや不幸に囚われますか、他の生き物はどうでしょうか? ただ、ありのままに生きて、ありのままに死ぬのみです あなたにとっての幸せも、他の人にとっては苦しみかもしれません あなたにとっての不幸も、他の人からすればマシかもしれません 人の数だけ幸せと不幸の概念と定義があり、それは人間だけが創り出す幻想です アリが空を飛べないように、鳥がモグラになれないように、あなたの母君も、祖母様もまた、あなたも、一人だけの世界で幸不幸に囚われているのです
あなたの心の苦しみ、そして母親の悲しみが伝わってきます。家族の問題はとても複雑で、強い感情が交錯しますね。祖母の行動や心の病気が、あなたや母親にどれほどの影響を与えたか、理解します。他人に依存することや、自己中心的に振る舞うことは、時には本人の無意識から来るもので、変わりたい意志があっても難しいことがあります。 祖母が抱える病の影響で周囲が苦しむ中で、あなたが自分自身を責めたり、周りとの比較をしてしまうことがあるのが、特に辛い部分ですね。あなたの思いやりが、家族の幸せを願う気持ちから来ていることはとても素晴らしいです。その一方で、時には感情的に距離を置くことも、大切な自己防衛の一つです。家族の病や苦しみに対し全てを背負うことはできませんし、あなたにはそれに対処する義務もありません。 心の中での葛藤を抱えながらも、自分を大切にし幸せを追求することは大切です。まずは、あなた自身が幸せを感じられる瞬間を大切にしてください。それが、他者への思いやりを持つための基盤となります。周りの人々に心を寄せることは素敵ですが、その中に自分自身を見失わないようにしましょう。自分の幸せを求めながらも、他者への支えを続けるバランスが見つかることを願っています。