どうも、おせっかいオジサンです。 常々、幼稚園や学校でのケンカなどで、「ごめんね」「いいよ(許す)」という流れを強制するようなことは良くないと思っております。 謝罪させるのは必須の指導教育でしょう。けれども、何故に謝罪されたら必ず許さねばならないのでしょう? 謝って済むなら警察はいらない、なんてことも申します。 謝罪を受け取りはしても許さないという選択肢を何故に奪うのでしょうか? 許さないと心が狭いと決めつけてよいことばかりでしょうか? 他者から見て大したことのないことでも、被害者の矜持を傷付けているやもしれません。 加害者としても、世の中には取り返しの付かないこともあるのだ、許されるためには許されるまで贖罪するしかないのだ、という学びの機会を奪ってはいないでしょうか? と、徒然なるままに投稿してみます。
@バイアス コメントありがとうございます。 論理が飛躍しているように感じるのは、オジサンの文才がないからなのかな…と感じております。 強制的に許せ、という指導が分断を生まないためということでしょうか? どうにもオジサンには得心いきません。 まあ、議論したいわけでもないので、あなたのコメントをよくよく考えてみます。