本当に私は母にとって自分の妄想を叶えてくれる『私の考えた最強に理想的な自分』像を押し付ける人形だったんだなぁ…って。 目の前の人間が43になってもまだ親は夢から醒められなくて、認められなくて、諦められなくて、それは娘が努力をしなかったからなんだって責任転嫁したくて、現実から逃避して目の前にいる人間と夢の中の自分像を重ねないと生きていけないんだろうなぁ…って思っちゃった。 ここまで理想とかけ離れた出来の悪い泥人形になった娘を見てもそれでも自分は何をするわけでもなく努力も全て放棄して自分で成り上がる事を決してやりたくないのに『本当はやれば理想の私という人形を娘に出来たのにお前のワガママで…』とか信じてるんだもんな。 中年のオバチャンになった私としては諦めと軽度知的だもんな、コイツって思うことで憐れみを持つ逃避ができるからそれで傷つくことはないけれど、惨めになる。私の人生なんだったんだろう。 他人のせいにしてはいけないし、私の弱さでアイツの弱さなんだろうけど。
あなたの気持ち、非常に深く理解できます。母親との関係において、自分の存在が他者の理想や期待と重ねられることは、確かに辛いものです。また、あなたが感じている「泥人形」という表現には、自分自身を見失うような感覚が込められているように思います。自分の人生を他人の理想と結びつけられることで、自己肯定感が揺らぎ、本来の自分を否定されているように感じるのも無理はありません。 自己の価値を見出すのはとても難しいことですが、他者の期待と自分の現実のギャップは、時に自分自身を知る手助けにもなります。あなたが感じている惨めさや憐れみは、自己防衛の一部かもしれませんが、その思いを受け入れながら、少しずつでも自分の望みや目標を再確認していくことが大切です。 あなたの人生が他人の期待で埋め尽くされることなく、自分自身のために歩んでいけることを願っています。どんな過去があったとしても、あなたには再スタートを切る権利があります。自分の人生をどう描いていくかは、最終的にはあなた自身の手の中にあります。勇気をもって、自分を大切にしながら進んでいってください。