人の目を気にするな、なんて人によるかもしれませんが、正直無理じゃないですか?山奥にでも行けばいいですか?長文であり、文章も纏められていないまま思ったことを書いただけなのですが、読んでくれませんか。 今日祖母と話したのですが親戚の子供と自分(祖母)の孫との学歴でマウントを取り合っているという事実を改めて感じさせられました。親戚が(誰かわからないのですが)「??(恐らく親戚の子供か何か)が青学蹴ったのよ」というのに対して私の祖母は「そんなこと言うならうちの??(私にとってのいとこ、祖母にとっての孫)だって青学蹴ったわよ」という話をしたと聞きました。たかが学歴でマウントを取り合っているなんて気持ちが悪いです。そんな事をしている人間こそ頭が悪いと思います。当然学歴のみで人を見ている訳では無いと思いますが、それでも酷い嫌悪感を抱きます。負け惜しみとかでは無く、心底そう思います。誰にでもあるあるな事だとは理解していますが、こういう事が人間を生きづらくするのだと自分の身をもって体感しました。このような変なことを気にせず気楽に生きたいです。私も大人になったら子供やら孫やらでマウントを取りたくなってしまうのでしょうか。取らなければならないのでしょうか。人間とは元からそういう生き物なのでしょうか。周りの人間を生きづらくしてしまうのでしょうか。それともこんなことサラッと聞き流して生きていけばいいでしょうか。私の考えすぎなのでしょうか。こういう生きづらさを見つける度に産まれてこなければ良かったと毎回思います。色々趣味もあって楽しみなこともあるけれど、それ以上に怖いものや不安なこと、嫌なこと、自分の中で気にせずには居られないことが多すぎます。私の性格上、自分で自分を生きづらくしている節もあるとは思います。でもやっぱり、人によりますが、この世は辛いことの方が多いと思います。この先真っ当な人間として生きていけるか不安です。高校だって3年間通っていけるか心配です。元々私自身、流行りにバンバン乗ってキラキラした日々を過ごしたいと思うようなタイプでは無いので、途中で学校生活がだめになるかもしれないとも思います。大学受験や就活、いつ死ぬか分からないまま死ぬまで働いて、その分楽しいこともやって。生きている方が辛い気がしてきます。思春期だからこんなことを考えてしまうのか、否か、分かりません。ただ、不安、という漠然とした事実だけがあるのは確かです。何もかも自信が無くて、おぞましくて気持ちが悪いです。 こんな私に何でもいいのでアドバイスくれませんか。曖昧な聞き方をしますが、皆さんはどう思いますか。
私もマウントの取り合い見ると鳥肌が立ちます。え、この会話楽しい?ってなります。負けず嫌いは向上心があって良いと思いますが、今回は本人じゃないしブランドの自慢し合い感があります。 人は上質(学歴など)を好む人と、個(1つしかないもの)を好む人がいると思います。 お祖母様は前者なのかもしれませんね。それはそれで生き方なので自由です。 私は上質を好む人の中で生きてきて、ずっと生きづらかったです。でも主人と知り合って、上質よりも自分の好きなものが大切という考えの人もいるんだと知って、とても気持ちが自由になったのを覚えています。 今でも英才教育で刷り込まれた、人の評価が気になる性格がたまに顔を出して、辛くなって泣いたりもしますが、その度にリセットをかけてもらえています。 なので、これから先は橘さんの生きづらい考えを楽にしてくれる知り合いをたくさん増やしていけば、世界が広がり生きやすくなると思います。付き合う人は橘さんが選べるんですよ。 私は人は楽しむために生まれてきたと思っています。だって辛い人生なんて嫌じゃないですか。楽しい、じゃなくて、楽しむです。自分で決めればそうなります。 私は地球ゲーマーという言葉を聞いてこれだ!と思いました。もしご興味があれば、キャメレオン竹田さんの「人生を自由自在に楽しむ本」お勧めです。ご参考まで。 また、YouTubeだったら「ハッピー研究所」さんが、生きるヒントになる本を一部紹介していて色んな発見があります。私はその中で気になった本を読んでます。 橘さんの周りの世界の外には、もっとたくさんの世界があります。せっかく地球に生まれたんですもの、見てみなきゃもったいないですよ。 ちょっとでも参考になれたら嬉しいです。
読みました。 人と比べないなんて無理ですよね。 社会の中で暮らす限り、就職も恋愛も全て、「人と比べてどうか」で成り立っているのではないでしょうか。 学歴が大事な人、財力が大事な人、容姿が大事な人、心の優しさが大事な人… 様々な人が混在する世の中ですが、何を大事に思うかは、その人の育った環境や時代に大きく左右されているように思います。 それぞれ違うのだから、自分の学歴至上主義に、関係ない孫を巻き込まないでほしいですよね。 橘さんは、歳をとっても孫でマウント取りたいと思う老人になるようには思えなかったです。 世の中には生きづらいことが多すぎると私も思います。私の場合は大人になるほどそう思うことが増えました。人の理不尽さや傲慢さ、搾取構造に辟易します。 ただ同時に、自分と同じような価値観で生きている人の存在も、だんだん見えてくるようになりました。 価値観が合わない人とは、親族だろうと一定の距離を置き、傷つけられないように身を守る術も身についてきました。 橘さんにとって居心地の良い人も、これから先きっと出会えると思います。 信頼できる人と支えあいながら、社会の槍から守り合いながら、なんとか生きやすい環境を作れたらいいなと私は思っています。 橘さんがこれから先の未来、なるべく優しい環境で生きていけますように。
人の目が気になるのは、当たり前ですよ。 誰かと関わって生きていくのですから、自分本意だけでは社会が壊れてしまいますよね。 ただ人の目が気になり過ぎて自分を責めたり、誰かのことを嫌いになってしまうのは 辛いことですね。 人と比べることだって誰かと一緒にいる限り、 自動的に無意識に比べてしまう部分はあると思います。 私は私と、どこかで折り合いをつけられればそれで良いのかもしれませんが 人と比べることは一生終わらないと思いますので人間は苦しいですね。 例えばお祖母様は、年齢を重ねていくうちに人生のイベントが減っていって 自分でできることが少なくなって不安が強いのだと思います。 若い時ももちろん不安なことはありますが、 死が近づいて先が見えてきた不安は計り知れないので、 誰かと比べることで自分を保っているのかもしれませんね。 この世に辛いことが多いか楽しいことが多いかは、 橘さんの受け取り方・考え方によって変えられる部分もたくさんあると思います。 この投稿は、橘さんの不安に思われていること、直面している現実が ストレートに書かれていて、とても大切な悩みだと思いました。 おそらく人はずっと何かに悩みながら、辛いことも楽しいことも経験しつつ、 なんとなくの日々を生きている気がします。 漠然とした不安が大き過ぎて、自信が持てないことは辛いですよね。 だけど、橘さんが今持っているまっすぐな価値観や公明正大な視点は すごく価値があると思いますし、自信を持って良いものだと思います。 社会には怖いことがたくさんありますが、 ここまで橘さんが積み上げてきたものが消えてしまうほど怖いものではないと思います。 これからマスクを外すことが当たり前になったり、 SNSを通してできることが増えたり橘さんを取り巻く社会も どんどん変わっていくと思います。 だけど周りがどんなに変わっても、橘さんの変わらない気持ちを持っていければ きっと大丈夫ですよ。 素敵な投稿をありがとうございます。
この世界って、正解がないんです。逆に不正解もない。 実はあるのは、ただ《出来事》であって、それに“よい”“悪い”を付けるのは人それぞれなんですよね。 例えば、学歴マウントする人がいる。でいうと、 出来事:《学歴について言い合っている人がいる》 それを 向上心があっていいじゃないか。野球でも、バレエでも誰々より上になりたいという考えが、自分を高めより良いものにするんだよ。 (あの人よりは上になれた)というのは、自分がどれだけ高められたかの証だし、それを堂々と表現してこそだよ。 と思うか。 貴方のように、争って何になるの?順位をして、マウントの取り合いをして醜くないの?と思うか。 それは人それぞれなのです。 そのマウントを取った人も貴方も。 生まれてからいままで、 《どうぞ!貴方はどう思うか自由に選べるよ!》と様々な価値観を作ってきた。 その学歴マウントの方は、小さい頃から「知ってる?○ちゃんは就職失ったってさ。」なんて噂話をよく耳にしていたのかも知れません。 貴方はそういう話題を聞いて(うわ、やだな。こういう人がいるから生きずらい。私は言わないようにしよう)と決めていますが、 その方は(わっ、そうやって周りに思われるんだ。それなら私は愛されるために、自分をよく見せなくちゃ。自分は凄いぞって、自慢して、認めてもらって、あの人より上にならなきゃ…。そうしないと愛されない。)と、思ってしまったのかも知れません。 もうその方の中で、(自分が1番にならなきゃ愛されない。)という固定概念が出来てしまっていたりするんです。 すごくない人は醜い奴。そうならないように生きるべき。というこびり付いた価値観が。 あなたの中で、「大人になったら自分もそうなっちゃうのかな?」と思うなら、 どこか理解出来てしまいそうな所があるからだと思います。 例えば、人をブスだ、馬鹿だと蔑む人を見ると(そんな人は嫌だ)と思うのに、 その会話を聞きすぎると苛立ってしまいつい、 (そんな《馬鹿なやつ》にはなりたくない)と自分もその人のことを蔑んでしまう。 そっちの方が馬鹿じゃないの?無能だね。理解出来きないかな?私より能無しが。 とあれ?結局私も人を散々バカにしていない? となるわけです。 だから、その人の奥に自分を見てあげてください。 実は貴方は、あの方と同じように、人を馬鹿だと思ってしまう時がある。 実は貴方はあの方と同じように、学力でクラスの○ちゃんより順位が上だった時に(わ!やった!)と思うことがある。 でもそれって本当は、悪いことじゃない。 純粋な感情で、素直な気持ちなんです。 それを思っちゃいけないと思うとこじらせる。 いいの。 本当にいいの。 別に思っていいの。 だって 馬鹿だなぁ。と思うということは自分と意見が合わないな。と気づいているということだし、 小さい頃に1等賞で喜んだのは悪いこと? 素晴らしい感情なんです! でもそれを押し込もうとすると、感じないようにと無視すると、(どうせいいの)と人が面倒になったりする。 改めて、もう一度その方を見てみましょう。 1度、一瞬でも、あなたは共感できるかもしれません。 いや、マウントとったり、陰口いうのは流石に理解できないよ? でも、(なんで私はあの人より下なんだろう)と劣等感を隠すために見栄を張りたくなる“気持ち”は、分からなくは無い。 うん。しないけどね?私はしないけどさ。 くらいには、相手を理解…。ううん。自分を理解出来るかもです。 もしかしたら、 「自分が悪い人になるのが怖くて言えなかったけど… 本当はあの感じの悪い奴より上手くできた時スカッとしたんよ!!ほんとうに!! どうだ!私の方が上だろう!と言ってやりたかったさ!」 みたいな自分がいるかもしれないし笑 で、また戻って。 その価値観。 言いも悪いもないんです。 ぶっちゃけ、良い奴も悪いやつもいない。 みんながみんな。自分の“こうありたい自分”になっているだけなんです。 学歴マウントとる人は、劣等感で(いつか私が上になるんだ!)という野心から来てるかもしれませんし、 貴方のように、 人なんて面倒だと、人を好きになれず、それが限界突破し【人類全てが醜いもの】に見えてしまっているかもしれない。 それぞれが、自分自身の価値観と共になりたい自分の姿を生きているのです。 だからこそ、貴方はどうなりたいか。どんな価値観をもつのかが重要なんです。 でも、本文に書いてありますね。 流行りにバンバン乗るほうではなくて、キラキラした日常はいやだ。 多分、だからといって静かすぎるのも合わないのかな? でも、ほら、キラキラしてる人たちって楽しそうで変に憧れてしまうじゃない? あー、自分には似合わないのに。て分かっているはずだけれど。 だったら、どんな人がいいんだろう。 理想はなんだろう。 と自分の本当の望みは何か考えてみてはいかがでしょう。 てか、そもそも親友って必要かな。 友人くらいの人が数人いて、したい時にだけ連絡するくらいがちょうど良かったり? そこまでがっついて友達作らなきゃ!てしなくてもよくない? Twitterとかで知り合った人と時たまゲームするくらいの中があなたにはあっているかもしれない。 匿名の方が気兼ねなく話せるかもしれない。 周りと貴方は違うから。 貴方の価値観を大切にすればいいと思いますよ!