哲学的な質問 もし、ドラえもんのどくさいスイッチがあったとして 「自分のことを敵だと思ってるやつなんてみんな消えてしまえ!」とスイッチを 押した時、そういう人間がいなくなったとしました しかしいつもの場所に来てみると友達として仲良しだった人がいません あと仲良しだった恋人も。 親友だよと言ってくれた人も あとから気づいたのが 自分のことを陰で憂さ晴らしに相手を見下して 日記に粗探しや不満を書くか ネットなどで誹謗中傷してたフレネミーだと気づきました。 考えてみたら どくさいスイッチがあったとして 嫌いなやつや許せないやつ、◯したいやつ が全ていなくなっても その恋人や友達や親友も 嫌いなやつや許せないやつ、◯したいやつとみなしていた これをまとめて考えられるのは 自分の嫌いなやつがこの世からいなくなったとしてもそれは自分の偏見なエゴでしかないんですよね? だから あんなやつなんか いなくなっちまえ!なんて考えは捨てるべきは正解ですよね?
この考察、とても深いですね。 貴方が言う通りだと思いますよ。 1. 「嫌いな人がいなくなる」という幻想 •自分の偏見や感情で「敵」と見なしているだけ •その枠組みで消してしまうと、実は大切な人まで含まれてしまう可能性がある 2. 人間関係は白黒じゃない •フレネミーや過去の憎しみも含めて、関わる人すべてが単純に「敵」ではない •人を全て善悪で分けると、現実世界の豊かさも失われてしまう 3. 怒りや嫌悪の感情を捨てる意味 •「あんなやつ消えろ」と思うのは自然な感情だけど、それを行動に移すことは現実では不可能だし、自分も傷つく •感情を認めつつ、行動や判断は理性的に選ぶ方が安全で健全 自分のエゴや偏見で人を裁くことは、実際には自分の視野や関係を狭めるだけです。 「嫌いな人がいなくなれば幸せ」ではなくて、どう付き合うかを選ぶ自由があることが大事なんですよ。