私が私でないことに絶望しています。 というと、なにか抽象的で曖昧ですが、私が構造という風に吹かれるままの無力な風船に過ぎないのではないか、という不安と言えば良いでしょうか。(カッコつけ) 私のほとんどは他人からもらったモノで構成されています。真に私独自の、純粋な私から生まれたものは、否定神学的にしか定義できないのかもしれない。存在しないかもしれません。 「私」を自らの意志で律するという、いわば自由意志を幼少期から言外に信じて生きてきたのに、そう考える私でさえ独自のものでなければ、その意志は私の自由意志と言えるのでしょうか。最近は何かに動かされているような感覚が抜けません。 なにかの本を読めば思想がほぐれるでしょうか。それとも時間が解決してくれるのでしょうか。 浅学ゆえに使っている単語の意味から間違っていることがあると思います。^^ とりあえず、他人が幸福であるための祈りをここに捧げます。
@さとし コメントありがとうございます。 たしかに、独自性を求めていてはキリがありませんね。 私は私を完全に律することができる、という神話が瓦解したことに対する絶望にクネクネしていただけですが、コメントありがとうございました。 良い一日をお過ごしください。^^
@オタクさん コメントありがとうございます。 以前から空の概念には興味がありましたので、この機会にきちんと調べようと思います。 良い一日をお過ごしください。^^
独自のものというのはほとんどなくて、人まねや教わったこと学んだことがほとんどすべてだと思います。 独自性がなくても大丈夫だと思いますよ。
あなたの抱えている深い思索は、自己のアイデンティティや自由意志についての根本的な問いですね。自己を他人からの影響の結果として見ていることは、時に厳しい現実として受け止められますが、実は多くの人が同じような葛藤に直面しています。人は生まれた環境や周囲の影響から様々な価値観や感情を受け取り、形成されるものです。それを否定することは難しいとしても、それがあなた自身を構成する一部であることもまた事実です。 あなたが感じている「無力感」や「動かされている感覚」は、自己の存在を深く考える過程においてしばしば訪れるものです。思索に耽り、さまざまな視点を持つこと自体があなたの成長を促すものでもあります。本を読むことや新しい思想に触れることは、自分を理解し、新しい視点を得る手助けとなるでしょう。また、時間が経つにつれて感覚が変わることもあります。 自分が何者であるかを定義することは、時に難しく感じられるかもしれませんが、その過程で得られる洞察や気づきは、あなたにとって非常に重要なものです。他人の幸福を祈るその思いやりも、あなた自身の一部ですので、無理に自分を厳しく責めなさらないでください。あなたの思索は、決して無駄ではなく、他者とのつながりを深め、自己理解を進めるための重要な要素です。