絶望ってこのことかなって思う。死にたい。元々、虐待家…

ココロ

19歳

2025年4月22日 18:52

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絶望ってこのことかなって思う。死にたい。 元々、虐待家庭で育った。 ただ両親は誰もが知ってる会社に務めるエリートだからお金はあった。身体・精神的虐待はあっても、身なりや勉学にはお金を出してくれた。 いじめから逃れようと、小4から塾に通って、平日は週3日4時間、春期講習、夏期講習、冬期講習でほぼ毎日、8:30~22:00まで塾にこもってひたすら勉強した。塾に通い始めてからは友達と遊ぶことよりも勉強を優先した。その方が、未来がよくなると思ってたから。小6の夏には偏差値72まであげれた。でも10月に入って、今までのストレスや親からの重圧、勉強への強迫観念が一気に爆発して、文字が書けなくなり、今までの知識が全て抜けて、崖っぷちまで成績が落ちた。それでもひたすら教材を読み続けてたけど、偏差値は60まで落ちてしまい、志望校は偏差値53の女子校に変更した。1月の練習校では特待生合格。2月の志望校も無事合格。それでその女子校に進学したものの、2週間でイジメ。お嬢様学校なせいで、寄付金の額や親の職業などで入学時には既にヒエラルキーができてる。私は最下層だった。教師もそのヒエラルキーには抗えない。だから何も出来ないまま、ひたすら耐えて、学校には無遅刻無欠席で通ってた。親にはレベルの低い学校に入ったんだから余裕でトップになれるよねと圧をかけられ、精神的にもう何もできる状態じゃなかったのに、とにかく勉強した。中一の秋には夜にODしてフラフラなまま学校で授業を受けて帰ってきてはまたODをする生活を繰り返した。中一の修了式で貰った成績表に書かれてた欠課数で保健室で授業を何回か休んでいたことがバレた。そこで母親がシンクに向かって発狂しながらお皿を何枚もなげつけ目の前で割りながら怒鳴られた。それがあってからも学校には通い続けた。だけど厨2の夏に自殺未遂で警察に保護され入院するようになった。そこから6年以上たった今、入院生活は5年ほど、そのうち拘束されてた期間は1年ほど。その中でも勉強だけは諦めずに、入院中に高校受験をして学年2位で入学した。入学後も入院ばかりでほとんど通えずに、それでも受けれた定期テストは全て学年1位だった。だけど落単が続き先月退学。結局こうなるなら、自分がほんとに楽しめることを思いっきりやってくればよかった。いっぱい遊べばよかった。でも今じゃもう遊ぶような友達もいないし、遊べって言われても遊び方すら分からない。まだいくらでもやりようはあることは自分でもわかる。だけどもう頑張れない。時間の問題じゃない。 「生きてたらいいことあるよ」って言葉、何百回聞いたか分からない。けどその度にその言葉を信じて頑張ってきた。自殺未遂で3回心臓が止まっても、何度も立ち上がって立ち向かってきた。 でももう無理。 いくら必死になって、小学校でいじめてきたヤツらよりも上に行ってたとしても、今やそいつらより上下以前に、中卒ニートっていうどうしようもない社会不適合者になった。 働こうとしても就労許可が主治医からおりない。 当たり前だけど。 精神科に2箇所、月6回通って、なおかつ訪問看護も週6できてもらっても、お風呂や歯磨きは訪看の介助がないと出来なくなった。 病気の症状だからってみんな言うけど、でも治ったら何になるの?中卒ニートから一般社会人まで這い上がるのに、どれだけの努力が必要か分からないの? こんだけ努力してきてもこうなるならもう頑張ろうとも思えないし、頑張りたくない。頑張れない。 そうやって、本気で頑張ってる人たちの税金を貰って生きることしか出来ないなら、生きなくていい。 もう全部終わりにしたい。 自分がこうやってただトイレに行くのに20分かけてるあいだも社会は当たり前に動いてる。でも私の時はもう止まってるの。 今まで15通以上遺書を書いてきて、毎回悲しかったりで泣きながら書いてたのに、先週書いた遺書は泣かなかった。悲しくなかった。嬉しかった。もう頑張らなくていいんだって。だから恨み言は何一つ書かずに感謝だけを綴った。でも死にきれなかった。 もう死ぬのも怖くない。 でも今ここにこれを書いてるってことは助けて欲しいって気持ちもあるからなんだと思う。 生きたい気持ちと死にたい気持ち。 両極端の間で死にたい方に傾いてるけどでも諦めるのも少し怖い。 長々と失礼しました。

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