この世界は、まるで生きながら焼かれる地獄のようだ。私はそ…

匿名

不明

2025年4月9日 4:44

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この世界は、まるで生きながら焼かれる地獄のようだ。 私はそれなりに、一人の世界を気に入っている。自分の世界をより良くすることに、力を注ぐ。より良い仕事をするためのアイデアを、より良い表現をするための努力を。それは、私にとってつらいことではない。 けれども、世界はそんな日常を「良い日々」とは捉えない──と、痛感する。 人は遠出して美味いものを食い、海外に出て謳歌し、球場に行って喝采し、街に出て語らい、酒を飲んで騒ぎ、友と、愛する者と過ごす。そんな豊かな日常を、共有し合う。 私は、うっかりその集まりに引っ張り出されて、途中までは楽しみながらも、やがて再確認する。 私は、そういうものを心から楽しむ──もっと言えば、他の人と愉しむ力を全く持っていないのだと。 人から見れば、無味乾燥で、異常な人生を送っているのだと。そして、悔やむ。 その相手が嫌いな者たちの集まりなら、まだよかった。 けれども、それが好ましい人たちで、しかも自分の知らないところで繋がりを持っていることを知ったら、なおさらだ。 ああ、こんな集まりになど、出るのではなかった。 再確認さえしなければ、私は自分だけの人生を見て、満足して日常を過ごせていたのに。 なまじ出て、皆が繋がりの豊かさを語るから、持たざる者は劣等感に囚われ、己の狭小さを、乏しさを、惨めさを直視しなければならないのだ。 疲労して一度は眠りについても、華やかな夢の合間に起こされて我が身を振り返り、つらい思いをしなければならないのだ。 私が誰か一人と仲良くなろうとしても、やがて自分の矮小さと非常識さと経験不足を感じて、居心地が悪くなり、劣等感を覚え、やがて耐えきれなくなるだろう。 そのことが怖いから、ますます私は、誰かに心を開くことができなくなる。 積極的に話すことができなくなる。 自分のくだらない自意識に引っ張られ、一人で過ごす時間が無意味に思え、他の人のような人生を即席で作ってくれるような「何か」に期待したくなる。 満足していたはずの日々が、全くのがらくたになる。 なぜ私はこんなにも出来損ないなのだろう? なぜ回避しようとしない? せめて事前にこうなることを学習して、会になど出なければよかったのに──。

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