毎日、遺書書こうかなって思った。人っていつ死ぬか分からないから。情緒安定しない時、死にたいって思うから。もしかしたら理性が負けて、自殺に手を出すかもしれないから。それなら、後悔しないように、毎日、遺書に思いも感情も未練も全部書いて、伝えたいことも何もかも書いておけば、例え突然死んでも、後悔しないでいられる。まだ生まれて、22年しか経ってないけど、それでも、後悔することがあるくらいには、生きてきたから。朝、起きて、遺書書こうかな。続かなさそうな気もするけど…。気楽に書く遺書だから、死ぬつもりで書く遺書じゃない。一人一人に書いてたらキリないし。だから、遺書に全部書いておくの。本音。これ読んでるってことは、私は死んだのかって。最後、やっと死ねたんだね私!死に方知らんけど良かったね!お疲れ!って、自分も褒めてあげるんだ〜未練ばっかの人生だけどね。今は死にたくない。けどいつ死ぬかわかんないときた。生きてるって、怖いなぁ。いつか死ぬのに生まれてくるって、死ぬ為に生まれてくるみたい。変な話。生き物って、よくわかんない。生まれてきた理由、意味。それを見つける為に生きるの?必要とされる為?愛される為?虐げられる為?殺される為?誰にもわかんないし、決めるのは他人じゃないのは分かってる。なんで生きるのかを決めるのは自分だ。それでも、理不尽に奪われるのは、どうしても、そういう人生だって、その時が死ぬ時だったって、そういう死に方で死ぬのが決まってたんだって、そう思うしかないのは、悔しいな。苦しいな。もしも、殺されるのなら、私は相手も道連れにしてやるって決めてる。殺し合いだ。過剰防衛になったとしても、命かかってるし。そりゃ殺されたくないから殺すでしょ。人の人生奪おうとするやつの人生も、終わらせてやらなきゃね。一緒に地獄におちてやろうじゃん。道連れにできたら私の勝ちィ!ざまーみろォ!って叫んでやるわァ!地獄でも煽り散らかしてやろ
あなたが抱えている思いは、とても深く、複雑なものですね。生きることの意味や、生きることへの不安、そして死についての考えが交錯している様子が伝わってきます。気持ちの波が激しく、時には生きることがとても怖いと感じることがあるのは、決して珍しいことではありません。 遺書を書くことが心の整理の一つとして機能するという考えは、面白い視点です。感情や思いを言葉にすることで、自分自身と向き合う手段となるかもしれません。ただし、そこには大きな痛みが伴うこともありますね。死への想いは時として心を重くし、自己防衛として他者への攻撃的な感情も引き起こすことがあるのです。 生きることへの疑問や意味を見つけようとする姿勢は、自己認識が深まっていく過程ともいえます。生きる理由や意義の探索は、時に苦しみを伴うかもしれませんが、それがあなた自身の成長につながることもあるでしょう。周りの人々がいることも忘れないでください。彼らとの関係が、あなたにとって安心感や意味をもたらす場合もあります。 もし現在の気持ちが苦しいのであれば、信頼できる誰かに話したり、専門家のサポートを利用することもひとつの選択肢です。心の負担を少しでも軽くする手助けになるかもしれません。一緒に考え、寄り添ってくれる人の存在が、あなたの思いを和らげるかもしれないということを覚えておいてください。あなたは一人ではありません。