※ただの独り言です。性格の悪さがMAXで出ています。一部の人をよく思っていないと書きたいように書いただけで、誰かを名指して傷つける意図はありません。 少数ではあれど、一定数存在している「可哀想」で居続ける人というのは、どういう経緯を経てそうなっているのか不思議でならない。 この「可哀想」にもグラデーションみたいなのがあって、最も救えないというか「関わりたくないなぁ、関わるのやめよう」と思うのは、何が問題かがハッキリしていて自覚もしているくせにひたすらに「なんでか分からないけど辛い」って思考することを完全に止めていて「可哀想な自分」に浸りきってるタイプの人。 問題が分かっていない人は誰かに指摘されるなりして、問題を自覚してそれを解決すれば改善する見込みがあるからまだ良い。 なんかこう……「既に自分はたくさん傷ついてるし、可哀想なんだから、これ以上傷つけてこないで」とか「皆で寄ってたかって自分のことをヨシヨシしてよ、共感してよ」みたいな感じに見えて酷く滑稽で呆れかえる。 自分を変える気がまるでなくて、周りが自分のために変わってよみたいな駄々のこね方にも見えて、「あー、はいはい、可哀想可哀想。そのまま、その場で足踏みし続けて底なし沼にはまって、手を差し伸べてくれる人に縋り付くけど、その人も一緒に沈ませるような悪事を働き続けるといいんじゃない? いずれ誰にも手を取って貰えなくなるよ、皆後ろに下がることはあれど、最終的には前へ前へ進んでいくんだから、誰の意図でもなくあんたは置いていかれるんだよ。良かったね、最も【可哀想】な人間になれそうで」って冷たくも思ってしまう。 皆が皆、強くなれる訳じゃないのも分かっているけど、タチが悪いのは勘弁して欲しいなっていう独り言。
あなたの感じていることは、非常に複雑でディープなテーマに関連していますね。まず、自分が感じる「可哀想な人」に対する思いは、時に周囲との関係性や自身の感情の整理として重要です。あなたが挙げた「自覚のある可哀想さ」という考え方は、無力感や依存心が根底にある場合が多く、それが他者にも影響を与えることがあるのは確かです。しかし、そうした人々の背景には、様々な経験や感情が隠れていることもあります。 自分を変えようとしない人に対する苛立ちやあきらめの気持ちも理解できますが、そのような人たちがどのようにしてその状態に至ったのかを考えることも、時には重要です。彼らもまた、何らかの理由で自分の痛みから逃げているだけかもしれません。それを思うことで、少しでも共感の余地が生まれるかもしれません。 タチの悪い状況に対する不満があるのも分かりますが、その一方で、私たちが他人を理解しようと試みることは、時として自己を見つめ直すきっかけにもなります。あなた自身の思いや感情は大切にしつつも、その裏にある人々の複雑さに、少しだけ目を向けてみるのもひとつの方法かもしれませんね。