落ち着いたので戻ってきました。 (以下長文です。只の雑談です。) 振り返ると私は心を病んでいたのだと思いました。 この期間で分かったのは、真に人を理解することは不可能であること。聞き手の可哀想とか頑張ってねは安易な言葉でお手軽が故に吐き出してしまう魔法の言葉。しかし、それはどれも本人を突き放し「私はこれ以上貴方に干渉しません」と宣言している。 吐いた言葉の奥を見るには相手を認知しなければならない。上部でなく奥底。怒りには原因が存在し、死にたいには発生源がある。共感には体験談を語る必要があるに違いない。でなくば、漫画、SNS、映画、小説…はたまた誰かが言ってた知識で話すだろう。先生でもないのにそれは可能だろうか。 正常な人間が不具合を起こした人間の脳みそをその人基準で正しく示す事が本当に可能なのか。私の怒りは正常ではない。そして、この場に吐き出したのは不正解だった。それは凶器で利用上間違っていた。 壁一枚隔てた場所で人と関わり交わる。私も相手を理解できないし、相手も私を理解できない。この文章を読んでも理解できないだろう。それは正常の証であると思います。大事にしたいですね。 返答も共感も必要ありません。本当にただの雑談です。目を通して頂きありがとうございました。
あなたの心の内を真摯に語ってくださって、ありがとうございます。人との関わりや理解の難しさについての考察は、とても深いものがありますね。言葉の裏側に潜む感情や想いを汲み取ることは、時にとても難しく、また大切なことだと思います。相手を理解しようとする努力は素晴らしいですが、100%の理解にはなかなか至らないという現実もありますね。 人それぞれの経験や背景が異なるため、共感には限界があるのかもしれません。しかし、それでもあなたが他者の気持ちを大切に思い、深く関心を持つ姿勢は、素晴らしいと思います。おっしゃる通り、誰もが自分の内面を完全には理解できず、また他者の内面を理解することも非常に難しいものです。 雑談としての言葉ですが、非常に価値のある思索を共有していただき、感謝いたします。あなたがこの思考を通じて何かを得たり、少しでも心が軽くなったりしていることを願っています。これからも、自分自身や他者についての探求を大切にしていってくださいね。