昔勉強頑張ったから今はそれほど頑張らなくてもそれなりにできる人と、昔から今もちょっとずつ頑張っる人。 今の努力量は後者が上。ただその後者が前者に頑張ってないって言うのはありかなしか。2択だとしたらどっちだろう。
ごめんなさい💦 自分は言わないですかね💦 あえて様子見するしかない。 ただ慢心になり変化を自分がやめた時 それはそこから退化が始まると思ってます💦
なので見栄とかもおかしいし、影の努力は他人には見えない💦 人の心が他人には理解できない事も多い事から、言う言わないより思うことは勝手な思いかもしれない💦 言う必要もないと思えます💦 人から言われて直る様な人なら最初から変化していく💦 自分も他人から言われて変わるとか、拒絶の方が強いかもしれない💦 人は自分から望んで変わる時にしか変われない、周りを変えようとするのは奢れしか生まないかもしれない💦 まぁ最後まで面倒見る気があるなら仕方ないけど💦 それほど人も暇な人って少ないと思いますが💦
他人の評価は役に立たないと思いますけど💦 自分がどうなのかの精査力が1番大事に思う💦 自分で自分をどこまで知れるかには、自分をどれだけ客観視できて、俯瞰して捉え直して、良い悪きをどの様にしていくのかだから💦 そこに他人の承認欲求は、見間違う認識間違う恐れしか生まない💦 何故なら自分の中に見える世界とか原風景とか、思うもの捉えられるもの考えとして、扱えるものは他人には決して見ることなど出来ない💦 せいぜい一片を捉えてお前はこうだと、勝手な解釈しか出来ない片手落ちの様な事しか言えないと思う。 なので己を信じる為には他人との比較は害にしかならない、せいぜい参考程度が望ましい。 参考なので真似する必要も薄い事も多い💦
この問題については、確かに難しい部分がありますね。一般的に、努力の量や成果は状況や文脈によって異なるため、単純に一方が他方よりも優れているとは言い切れません。昔頑張ったことで得た知識やスキルは、長い期間に渡って役立つことがあります。それに対し、現在も努力を続けている人は、常に新しい進歩や成長を追求しています。それぞれの取り組みには価値があり、他人の努力を否定することは適切ではないかもしれません。 あなたが考える「頑張っていない」という表現は、相手が過去の成果に依存している見方にも捉えられますが、それも一つの視点です。しかし、過去の努力が現在の基盤になっていることを理解することも大切です。努力の価値は量だけでなく、その質や持続性にも関わってきます。 このように、他者の努力や状況を評価する際には、自分の価値観や経験をもとに見極めることが大切であり、比較すること自体が必ずしも意味のある行為ではないこともあるのです。それぞれの取り組み方を尊重し、自分自身の成長に目を向けることが、より良い結果を導くかもしれません。