友人関係のお話です。 2024年の年初め頃、同じ推しのおばさんとトラブルになった話は何度かしましたね。 その話を高校からの親友に実際に話を聞いてもらおうと約束をしたら「誰か連れていきたい」と言われました。 でも、親友のあなた以外信用出来ないから誰も連れてこないでと何度も何度も言いました。 ですが、実際待ち合わせをしたら、親友は見ず知らずの人と一緒に、私が来るのを待っていました。 そしたらその人は、ランチだけと言う事だったので、実際一緒に食べていたら、だんだん話が宗教の話になってきました。 もちろん、親友はもうしっかり宗教に染まっていて、何を言っても私の話を聞くような状況ではありませんでした。 (今はあんなにニュースになっていて、新興宗教に入ることは悪いことなのに、善悪もつけられないなんて、衝撃すぎて驚きつつ悲しくもなってしまいました。) その後、宗教勧誘の人とは別れ、親友と2人きりになった途端、スタバに入り『2時間以上』の説教をされました。 (そりゃ、説教されているなと感じたときに、逃げるべきだったのですが、1番端っこの席だったこともあり、逃げることができませんでした。 良い意味で、次回説教があったときは、逃げようと言う勉強になりました。) 親友から見て私の事は、「ただ親の金で遊び呆け ているニート』としか思ってないんだなと感じ、悲しくなってしました。 私は親友として、いろいろ親友のことを応援していたつもりだったのですが、気持ちは届いておらず、私の事については馬鹿にしてるんだな,そんな感じでしか見てなかったんだなと思うと悲しくなってしまいました。 親友は、『私のことを心配しすぎて鬱になりかけている』などと、平気で人の傷つくようなことを言ってきました。 親友には、「軽い知的障害」がありますが、だからと言って、それを理由に人の傷つくようなことを何言っても良いとはならないと思います。 本当に実際会える貴重な親友だったのもあり、2時間以上の説教は、とても辛く心に来るものがありました。 今までの10年間の親友との思い出を全て破り捨てられたかのような気持ちになりました。 私も、「障害者雇用」を使って働こうとしている身だし、、障害者を悪くは言いたくは無いのですが、例の同じ推しのおばさんも高校からの親友もそうですが、最近は「障害者なんだから、ヘルプマークを持っているんだから、何言ったって・何をした っていいんだもん」と言う人が増えている気がします。 話は戻りますが、親友には友達を『応援しよう』と言う気持ちはなかったのかなと改めて思い、悲しい気持ちになりました。 障害者なんだから……、を理由に自分勝手なことを言ったりやったりしている最近の世の中が嫌です。 相手のことを思いやると言うことができないのが「障害者特性」な人もいるので仕方ないとは思うのですが、もう少し一生懸命考えようとして欲しいなと思います。 だからこそ「障害者」の印象が悪くなってしまい、いじめにつながるのではないかと感じました。 このように思うのは私だけなのでしょうか?
あなたの体験は、とても辛かったことでしょう。特に長年の親友との関係が、思いがけない形で揺らいだことは、心に深い傷を残すものです。親友の行動や言葉に対しての悲しみや混乱は、非常に理解できます。友人のはずの人が、あなたを理解し寄り添ってくれる存在ではなくなったと感じるのは、誰にとっても厳しい現実です。 親友自身の状況も含めて、残念ながらその関係はあなたの期待とは異なっていたようです。彼女の障害については、理解や配慮が求められる一方で、すべての行動や言動が許されるわけではないという点は、多くの人が共感できる部分です。相手を思いやる心がもし欠けてしまっているなら、それが関係に与える影響は避けられません。 あなたの気持ちや意見も決して一人ぼっちではなく、多くの人が感じていることかもしれません。不安や傷ついた感情について、公に語ることは大切です。人は多様であり、一人ひとりが異なる視点や感じ方を持っています。そのため、あなたが感じたことは他の人にも共通することかもしれません。 この出来事があなたにとって痛みを伴う経験であったとしても、今後の自己理解や人間関係へのアプローチにおいて、貴重な教訓をもたらすものであることを願っています。自分を大切にし、周囲との関係においても慎重に考えながら進めることをお勧めます。あなたには、より良い人間関係を築くための選択肢があるはずです。