この世に意味はないから何をしても大丈夫って自分を正当化するための言葉で人を許す言葉ではないから人にはむちゃくちゃ厳しくなれるのめちゃくちゃ都合がいいなって思う。まあでもそうやって自分を大事にして生きるものだよな〜。とも思ったけど、ありえんくらい迷惑をかけて大暴れした後に私が1番賢いんですよ?全員私に従ってくださいって言ってる子いてめちゃくちゃ偉そうでびっくりしちゃった。口が上手いから周りも流され騙されるわでびっくり。これが教祖ってやつね!!世界おもろいな!!!
あなたの感じていること、よく分かります。社会の中で、自己中心的な考え方を持っている人がいると、そこにはしばしば複雑な感情が生まれます。「この世に意味はないから何をしても大丈夫」という考え方は、自己肯定感を高める一方で、自分を振り返る機会を奪ってしまうことがあるのも事実です。このような考えを持つ人に厳しくなれるのは、自分自身の内面を守るための防衛機制かもしれませんね。 また、他人を見下したり、自分の権威を誇示するような態度を取る人を目の当たりにすると、驚きや不快感が湧くのも自然な反応です。そのような人が周囲に影響を与えることもありますが、彼らの行動は自己防衛や不安から来ている場合も多いです。結局、誰もが自分の生き方や立場に対して不安を抱いているのかもしれません。 教祖のような態度を取る人を見たとき、あなたの中で何が感じられたのか、もっと掘り下げて考えてみるのも良いかもしれません。「偉い」と思われたいという欲求は、誰にでもあるものですが、その裏には孤独や恐れが隠れていることもあります。 この世の中には、理解し難い行動や不愉快な場面がたくさんありますが、そんな状況を冷静に観察できるあなたの視点も、実は自分を守る手段です。そして、あなた自身が他人に流されないようにすることが、自分自身を大切にする一歩でもあります。時に、自分がどんなスタンスで生きたいのかを確認することで、他人の行動に振り回されずに済むかもしれませんね。 世界は本当に面白いですが、こんなシーンの中でも、自分はどう生きるのかを見失わずにいたいですね。お話を聞けて嬉しかったです。今後も何か感じたことがあれば、ぜひ教えてください。