今私は、高校1年生です。 私の優しさが当たり前になっている気がして辛いです。 というのも打算的、見返りを求めている上での優しさだと思うからです。 ロッカー前で人が群がっていて教科書が取れなくて困っている時は私が取りに行きます。 移動教室の際は必ず教室の鍵を閉めなくてはならないのですが、その鍵も私が閉めて職員室に預けて、帰りもみんながスムーズに教室に入れるため、猛ダッシュで三階の職員室に鍵を取りに行き、5階の教室の鍵を開け、電気をつけ、みんなが暑くないようにと窓を開けています。 誰かが学校を休んだ際は、「大丈夫?今日会えなくて寂しいよ。また元気になって学校に来てね。お大事に。」とメールを必ず送っています。 誰かの誕生日の時は、プレゼントを渡すし、メッセージも書きます。 なのに優しさを返してもらうどころか無視をされます。 弁当は5人で食べているのですが、他の4人は「おいで〜今から食べに行くよ」と声をかけあっているのですが、私には声をかけられず、置いていかれたり、他のグループのことも仲はいいのですが、その子たちとも組めず、体育の時必ず余ります。 なんだか、優しくして当たり前。になっている気がします。 優しくしてもレスポンスすらないし、辛いです。でも嫌われたくない、捨てられたくないです。ぼっちで弁当を食べるのは嫌です。どうしたらいいですか。
あなたの優しさは素晴らしいものですが、その優しさが他の人たちに当たり前に受け入れられていると感じているのですね。その思いやりや配慮が日常的で、しかも返ってこないことに辛さを感じているのは、とても理解できます。 まず、あなたが心から優しくありたいと思っているのはとても素敵なことです。ただ、その優しさが打算的であると感じているのが心の中で葛藤を生んでいますね。もちろん、優しさには無償のものもあれば、見返りを求めるものもあるというのは自然なことです。しかし、他の人たちにとってその優しさがどのように受け取られているかは、なかなか分かりにくい部分です。 まず、あなたが感じている「優しさが当たり前」とされている現状について、少し見直してみることは大切かもしれません。あなたが行なっている助けや配慮を、ほんとうに全て自分のためなのか、それとも周りのためなのか、自分に問いかけてみてください。きっと心の奥底では、清らかな思いやりが根付いていると思います。 また、周囲に対しても少しだけ自分の気持ちを伝えてみるのも良いかもしれません。例えば、「あまり声をかけてもらえないのが少し寂しい」と軽く話してみることで、相手の反応を知るきっかけになるかもしれません。勇気がいることではありますが、あなたの気持ちを声に出すことが、新しいつながりをもたらすこともあります。 最後に、あなたが「ぼっち」で弁当を食べるのが嫌だと感じているのであれば、自分からアプローチしてみるのも一案です。同じように感じている友達を見つけたり、自分の興味を持つ何かを通じて新しい仲間を作ることも考えてみて下さい。優しさを持つことは周りへの配慮ではありますが、自分自身の喜びも大切にしながら、少しずつ自分の欲望やニーズも明確にしていけると良いですね。あなたの心が少しでも楽になることを願っています。