みんな何で生きてるん? 家族のため? 恋人のため? 何か好きなもののため? ただ怖いから? 死んじゃった人にも聞きたいわ 何で死を選べたの そこまで苦しかったの それとも何も考えてなかったの 何処まで落ちたら 死のうって思うきっかけに相応しいの 死にたいって普通は思わないものなの? 何で思わないの? メンタルが強いの? それとも馬鹿なの? 信頼ってどゆこと 愛って何 言葉だけでは学んだよ 沢山貰ったし 人に教えることも出来るよ なのになんでこんなに満たされないの 誰か答えてよ 沢山教えて 沢山こうしなさいって指示するなら 質問に答えてよ 最後は感情論ってことでいい? 特に明確な理由は無く 自分に利益があったから好きになった 自分がそう酔うことで自分の価値を編み出せる 両者の欲しいものが噛み合って 関係が築かれていくことを "支え合う"と言う そういう話でいい? 薄っぺらいね 死んだらどうなると思ってるの 全部無くなるの? それなのに自分を信じてとか言ってるんだ なんで優しさは優しいって感じるの? 悪い人ばかりが得をしてるのは 何でなんでしょうかって 悪い人はみんななんじゃないの 答えられないのに生きてるんだ わからないよ どうやって生きてたんだろ どうして生きてるんだろ 何故か今死んだら永遠の苦しみだよって 教えられてるからさ 怖くて死を選べないよ 答えてもくれないし 振り向かない私が悪いってことになってるらしいし どうしたものかね 最近よく首を絞められるんだよ こうしなさいって こうしたらって 私にはわかるよって 何でやらないのって これくらいはって 笑ってるから大丈夫だとでも思ってるのかな 何も喋らなくなるのが安牌 苛立っても言葉を発さなくなるし 悲しくても口を噤める そーしたら 今度は自分のことも説明出来ない 何も考えてない子供ってことになっちまった 悲しいね 誰かに悲しんで欲しいよ 愛してるってよく言われるの 幸せ者でしょ? あなたを愛してるんだからって 愛してるのにどうしてわからないのって 愛してるからこうするんだよって これが愛なんだからって 愛のために必要なんだからって それは愛なんじゃないのって 愛に溺れて死にそうだよ 愛されてるけど愛されたいよ 味方だよって 自傷怒ってきた人が言った 心配なんだよって 何にもやってくれなかった人が言った 信じたふりを上手くやれる程余裕無いから ほっといて欲しいな 大丈夫だよ 優しいのはわかってるから 正しいのはわかってるから 私もあなたの幸せ願ってるから ただ隣には居て欲しくないな うざいって言ったら 急に私が悪いことになっちゃうようでさ 黙ってても こうしなさいって言われるみたいで たまに爆発する私は短気ってことになるようで ちゃんと出来ない私は落ちこぼれ立ち位置で どんだけ取り繕っても失敗作らしくて それでもその失敗作を愛すことに 専念してるらしくて こうした自分語りも本当は間違ってて 他人に優しくなれないといけなくて 他人を思わないといけなくて 発散するものが無いと生きてけないよね 私も人間だからさ それでも自傷は我慢してるんだよ 小さい子には見せたくないし 怒られちゃうからね はやく呼吸を止めてくれ もういいよ でも"愛してる"から生かそうとしてくるんだよね だったらさっさと幸せにしてくれ もういいや どうせ何も変わらない お風呂入ってないけど寝る 朝起きたら死んでねーかな
わかる 毎日なんで生きてんだろって思う そのまんまだけど生きてるから生きてる 生きる理由は別にくだらない理由でもいいし、死のうとも生きようとも思ってないからなんかの原因で死んだら死んだでそれが私の運命だったんだで終わらす つらい時は、誰にも知らずにこの世から消えないかなとか考えちゃうけどなんやかんや生きてる
@溶けかけの雪だるま まぁね。気持ちは分かるよ。 ただ、私も結局その思考で精神が壊れかけたんだよね。 だからさ、ついつい、お節介したくなる。
@溶けかけの雪だるま 神という存在は信じていませんが、神という概念は肯定しています。 私には、なぜ生物が「種を絶やさない事」にここまで執着しているのかが分かりません。存続した先に、存続する意味があったと言える何かがあれば納得するのですが、現状それを認識するのは不可能です。 世界は偶然と必然によって作られていますが、そのどれもに「なぜそうなったのか」という原因があります。生命もまた、偶然消滅しにくい性質を持った存在が必然的に生き残り、今日までそれを繰り返してきました。 そうやって時間をかけて培ってきたものの結晶が、人間です。人間は、単純さを残して複雑さを偶然手にしました。単純さとは原始的な本能、複雑さとは社会的な理性です。 私たち人間は、成るべくして成っています。私もあなたも、偶然から始まり、必然的に存在しています。その一連の流れは、私にとっては「抗えなかった事」です。私が存在する以前の事を、私はどうにもする事が出来ません。私に出来る事は、私が世界に発生して以降の世界で起きた事に対して、従うか、抗うかのどちらかです。 私の言う「何か」とは、「意図なき流れ」です。それを神の意志と捉える事も出来るかも知れませんが、私はそれを神とは認識しません。私にとっての神とは、流れの中にいる自分を操作出来る存在。つまり、自分自身です。
@(仮名) 雨程単純なものなのでしょうか… 生きることが嫌いな人 死にたいと本当に願ってる人 人生に本当に何も無かった人 存在するのか微妙なとこです 半強制的に生に縛り付けられてると思う"何か"とは何なんでしょうかね わからないものとして終わらせるべきなのか それとも答えがあるのか ただこの話は 私に宗教的に学んだものがあるから 答えをひとつに決めるのは難しい気がします 結局は感情論 その意味もなんとなくかもですがわかりました なんだかあなたの考え また仕組みという言葉だけで生きているというのはすごく悲しい気がしました あなたの考えを覆してみたいです もうちょっとしっかり学んで 語彙力が必要かもですが…笑 ひとつお聞きしたいのですが 神の存在についてどう思いますか その"何か"は神だと考えたことは無いですか…?
雨が降ってきたとして、雨が好きな人は喜びますが、雨が嫌いな人は気が滅入るでしょう。それと同じです。生きる事が好きな人は楽しみ、嫌いな人は苦しみます。 自由とは、自らの意思と現実の状態が重なっている状態の事を指します。たとえ強制されているとしても、その状態が自分にとって望ましい状態なのであれば、それもまた自由の範疇です。 私たちは、呼吸をしないと生きていけません。人間として生きる以上、これは強制されています。それを苦しみと考えるか、ありがたいと思うかは人それぞれです。 自由。自らに由る。自分がそうしたいと思う事。あらゆる欲の根源は己ではありません。私が生きる為、私を生かす為に、精神や身体が半強制的に発生させた現象。そうとしか、私は見ていません。 自分を生かそうとする、半強制的な生命活動。それが自らに由るものではないとするならば、自由とは何なのか。そう考えた時に、私は生から逃れようとする意思こそが、人に与えられた自由であるのだと思います。 望むものが死なのであれば、欲しいものを得る為に、それに近づくのは自然な事です。自傷は、死を求める欲を程々に満たす為の行為。死が欲しくて欲しくて我慢出来なくなってしまった人は、自死を選びます。 欲しいものを得られないなら、人間はとうとう生きている意味がありません。金でも、愛でも、信頼でも、死でも、それは同じです。しかしそれを諦めたくないから、人間は生きている。諦められないのは、人間が半強制的に生に縛りつけられていて、易々と逃れられない仕組みになっているからだと、私は思います。
@ねずにゃん そうゆうものなんじゃないかな 人間全く納得して無いのに それを飲み込んでいくことは出来ないよ
@ぶたちゃん 学生の頃のことは その時を乗り越える手一杯のものだったのでは無いでしょうか… 辛かったですね あんまり自分の責めないであげて下さい 死にたい気持ちは無くなったけれど 生きづらさは無くならない でも生きていく覚悟のようなものが出来た そういうのを強さというのでは無いか なんだか 苦しんだ人が辿り着く答えなんじゃないかなって思います お互い 幸せだと思える瞬間が 生きてる内に少しでもありますように コメントありがとです☃
@(仮名) 川の流れに乗らないで 自らの道を選ぶ人間は幸せになれるんでしょうか… 自由という言葉にすると綺麗ですが 欲に従っていくという意味にもなる気がします 人を殺したい欲 罪を犯したい欲 性欲 性欲が1番わかりやすいかな こうしたいからこの道を選んだ 浮気だったり 若い内に子供が出来たり やるだけやって別れてく これが自由でしょうか 自由というけれど この世界がぐちゃぐちゃになってる理由な気もします (仮名)さん的には 生きるということが強制的で 何処か苦しいものだって言ってるような気がしますが 生きるって良いことでも無いですか…? 感動だったり 喜びだったり 幸せも与えられている 川の流れにあるものは苦しいものだけじゃない気がします こんな投稿しといておかしな意見ですね ごめんなさい 何かに無理矢理生かされてる 言い方を変えれば 何かに生かして貰っている そうは私も思えないから難しいとこなのですが… 曖昧な意見ぶつけてしまってすみません コメントありがとです☃
多分あなたは他人に何を言われても、自分が納得しないと納得しないんだって思う。
@ぶたちゃん そういう人ってHSP傾向が強いのかなと思います。
死にたいと思った時が何らかの精神疾患の始まりなのかな、なんて私は思います…。思い返せば私は、子どもの頃から死にたいという気持ちがあり、高校生の時に本気で病んで、精神科に通院しましたが、今でも通っています。死にたい気持ちはなくなりましたが、生きづらさなんてなくなるものではありません。それでも生きていく覚悟ができたというか。強さってそういうことだと思います。 学生の頃は自暴自棄になっていたし、自分を大切にできていなかったのを後悔しています。
自分の意思で生きている人はいません。誰もが何かによって無理やり生かされています。自死や自傷は、半強制的に生に縛りつけられた命から逃れようとする気持ちの表れであり、自らの意思で生から逆行出来る数少ない手段です。 生きている命の全てが生に向かって前向きに生きる方が異常です。命なんて川の流れに乗った葉のようなもので、軽いし脆いし、何より意味がないものです。 生という流れから脱しようとする、或いは脱する事にもまた、意味はありません。最後は感情論です。そうしたいからそうする。そうしたかったからそうした。川に流れる葉と違い、人間は自ら流れから脱する事が出来ます。これこそが、人に与えられた自由という事なのだと思っています。