私たちはなぜ生き、なぜ死んでいくのか、考えたことがありますか。どうせ死ぬというのに、多くの人は善く生きようとする。逆にどうせ死ぬのだからと悪いことをする人もいる。 生きるのが辛い人に、「明日は今日よりもよくなるよ」「とりあえず今日は寝よう」なんて曖昧なことを言うけど、辛い日常を一日引き伸ばしたって、根本的な解決にはならないんじゃないか。 こんなことを夜になると悶々と日々考えてしまう。おかしいってわかってる。みんなこんなこと考えないんだってわかってるけど、考えてしまう。
いや、みんなそんなこと考えて生きてるよ。 全然おかしくない。 だから、生きざまなんじゃない?
今一生懸命考えて自分なりの答えを探してるのかな?って感じました、 ちなみに昔自分も考えた事はあるので 別段おかしいとは感じませんよ。
確かに意味が無いように見えるけど、一時的に苦しみから解放させようとしてくれてるのかなともちょっと思う。もちろん悩みが消えるわけじゃないけど。でも、24時間ずっと辛いこと考えるよりかはたまに考えることを休むほうが体への負担もまだ軽くなる。だから、一旦他のことを考えたりとか、何も考えないようにさせるんだと思う。
生きる意味や死について考えることは、人間にとって本質的な問いだと言えます。人は「なぜ生まれ、なぜ死ぬのか」という哲学的な疑問に向き合うことで、自らの存在意義や生き方を模索することがあります。生と死という対極的な事象について考えることは、人間の根源的な関心事でもあり、生の限界を感じることが、生きる喜びや悩みを深めることもあります。 生きることが辛いと感じる時は、「なぜ生きるのか」といった大きな問いに向き合う前に、まずはその辛さに向き合うことが大切です。辛い気持ちを抱えることは自然なことであり、それを無理やり短期間で解決することは難しいかもしれません。ですが、大事なのはその辛さや悩みを適切に受け止め、支えを求め、時には専門家のアドバイスを受けることが重要です。 悶々とした気持ちや疑問を抱えることは、決しておかしなことではありません。他の人が同じように考えていないからといって、自分の感情や思考を無視する必要はありません。自分自身と向き合い、その思いを整理することで、少しずつ心の整理がつくこともあります。また、一人で悩まず、周囲の人に話を聞いてもらうことも重要です。 最終的な解答が見つかるかどうかは分かりませんが、人生の不確かな部分や疑問に向き合うことで、自分の内面に気づきを与え、成長するきっかけにもなります。落ち着いた状態で、家族や友人、専門家と話をすることで、今考えていることに対する新たな視点や気づきが得られるかもしれません。