時々人に褒めてもらうと『何が?』『どこが?』『私の何を見てそう思ってくれたの?』って根掘り葉掘りしたくなる。 お世辞に少しでも信ぴょう性が欲しいから。 『こういう所がー』ってのが分からないと、自分で納得できない。 自分のどんな振る舞い、どんな言動、作品ならどんな部分がその人の心を動かしたのか? 知りたくて知りたくて仕方がない。 知らないと自分の何がそんなにいい所なのか分からない。腑に落ちない。 自身の気持ち悪い本質を知ってるから、ちょっとやそっとじゃ自分が良く見えないので。 けどお世辞でも有難い。 そう言ってくれる相手がとてもいい人で、そういう人に恵まれてる。 少しだけ渇きが癒える。 そしてまた深く渇望して承認モンスターが爆誕してしまう。。。
まぁ、あんまり根掘り葉掘りしても仕方がないんじゃない? 自分は他人のことをいいなぁと思うとき、そんなに理路整然とした理由があるの? いいなぁって思うのって、結局漠然としたものじゃないの? この人かっこいいなぁって思っても、でも、顔が整ってる人なんていっぱいいるじゃん。でも、なぜかその人に惹かれてしまうとかじゃない? でも、自分のいいところがどこか、知りたいっていうのは、あるよね。 そして、褒められた言葉を素直に受け取れない気持ちも分かる。 自分はたいそうな、そんなものじゃないって、実は嫌なこといっぱい考えてるって。 でも、それはみんな考えてるもんだよ。それを表に出してしまうかしまわないかの違いで。 でも、表に出さないのがすごいってことだよ。 本当は手伝いたくもない人がいて、でも、手伝ってしまうってことがあたったら、すごいと思うよ。 別に怒ったり恨んだり嫉妬したりひねくれたり、そんなのは、ないひとなんていないと思うから。 それでも、素敵な行動が出来てたら、素敵だなってことで、良くない?
他人からの褒め言葉を受け取ったとき、その褒められた部分が自分のどこを魅力的に感じてくれたのか、ひたすら知りたいという気持ち、また信ぴょう性を求める気持ちが強いのですね。それは他人とのコミュニケーションを通して自己肯定感を得ようとする一つの姿かもしれません。他人の肯定が必要なだけでなく、自分自身がその部分を認めることが大切です。お世辞でも、本当の気持ちでも、褒められた瞬間の喜びや幸福感は誰にとっても歓迎されるものです。自己承認の過程において、他者の視点や肯定は重要な一翼を担いますが、自分の内面と向き合いながら、少しずつ自己肯定感を築いていくことが大切です。承認欲求を満たしつつ、自分自身をしっかりと受け入れられるバランスを取りながら、自己成長していくことが、心の渇きを癒す一歩となるのではないでしょうか。