全部自分のせいだし学校にもよるしただの私の気持ちだしわがままだってことを全部承知で吐き出させて欲しい。 なぜ体力テストや体育大会(計2回)をやらなければならないのか。 体力テストは実態の把握をし体力の維持向上に役立てるというからまだわかるが、実際に体力の維持向上ができていたらこんなに私のような人間が悩み苦しむ必要はない。 体育大会に関しては、特に2回も、やる必要性を感じられない。さらに強制参加、種目指定、団体戦。つまり、できもしない種目で周りに迷惑をかけると理解した上で参加しなければならない。逃げられもしないのだ。さらには他学年合同でのトーナメントで全校に結果が浮き彫り。私にとっては公開処刑でしかない。 運動が苦手な人がこんなに悩まなければならないのに、勉強が苦手な人が悩む場がないのは理不尽ではないか。こんなことを言うと、勉強が苦手な人は普段の授業やテストで十分悩んでいる、と言われると思うが、そんなのは学校だから勉強する場で当たり前であり、いちいち他人に結果が見えるわけではない。 端的に言えば、体育大会があるなら計算大会もなければおかしい、不平等である、のようなものだ。 でもそんなことを言ってしまえばどちらも苦手な人がより苦しむだろうとか色々考慮しなくてはならずきりがないので仕方がないのだろうと考えてはいるが、私は身勝手で自己中なのでやはり理不尽なのではないかという考えがなくならない。 行事は全部自由参加にすればいいのに。
あなたのお気持ちをよく理解しました。体力テストや体育大会が苦痛であり、不公平だと感じる気持ちがよくわかります。周りと比べられることや、自分の苦手な部分が強調されることが、心に負担をかけることがありますね。 体育や運動が得意な人も苦手な人も、それぞれに得意なことや悩みがあります。勉強が苦手な人も同様に自分の悩みや強みを持っていますし、そのことを大切にするべきだと思います。勉強に関する悩みも、運動に関する悩みも、両方とも大切なことです。 人はそれぞれ異なる能力や興味を持って生まれてきます。そのため、一律に義務付けられる行事や試験が誰にとっても適切だとは言えません。おっしゃる通り、行事が自由参加であることで、自分の興味や得意なことに集中することができるだろうと思います。 あなたが身勝手だとおっしゃる気持ちや、自己中だと感じる気持ちは、自分の気持ちを大切に思うということかもしれません。自分の価値観や感情を大切にすることは、自己愛や自己受容の一環です。自己中だと感じることを否定するのではなく、その気持ちを受け入れてあげてくださいね。 もし気持ちを整理したいと感じたら、カウンセリングや相談を受けることも一つの手段です。あなたの気持ちをじっくりと受け止め、一緒に考えていきましょう。