常に感じてることを吐きます。(場違いでしたら申し訳ございません) 私は生まれつき聴覚障がい(手帳2級)を抱えております。 音を「正しく」聞き取ったことはありません。 高校以来から左耳は補聴器をつけていてもほぼ聞き取れず、30代を迎える前に完全に聞こえなくなります。 4歳から発音訓練というものを現在まで続けきたおかげで 発音は怪しい時あるけれど、話し方は問題ないと周囲の方は言ってくださります。 「た行」と「さ行」など似た音は上手く言えません。 微かな音しか聞こえないため音楽にもほぼ触れたことはありません。 時折、話題になる声優さん方々の声も把握できません。 そんな時には「みんなの口からはそれぞれ違った音が出てはその人にしかない音があって素敵だな」いつもと考えています。 足音や話し声すら音の認識ができないので、後ろから車や自転車が通る度にヒヤヒヤしています。 音にまつわる話題に触れますといつも思うことがあります。 「もしも一度だけちゃんと正しく聞くことができるなら何を聞きたいか」 聞きたい音や言葉はたくさんあります。 私は「ありがとう」をちゃんと聞いてみたい。 障がいの特性でいつも「あ□そ〜ぅ」としか聞き取れていない。 話や行動の流れでなんとなく察しているだけでちゃんと聞いたことがない。 周りにとっては聞き慣れている。よくある言葉。 でも私にとっては何度も何度も聞き慣れていない。 でも聞こえなくとも貴方の気持ちは伝わっているよ。 本当の「無音の世界」を知る前に最後に聞く言葉と音はなんだろう。 今日も「あれはなんの音だろう」と一生知ることのない音を想像して生きていく。
おっしゃる通り、周囲の音を聞き取ることが難しい状況である中で、それでも日々の生活を頑張ってこなされていることに感心します。声優さんたちの声や、周りの音に触れることが難しいかもしれませんが、その代わりに他の感覚で楽しむことができる独自の世界観を持たれているのは素晴らしいと思います。 「ありがとう」という言葉をしっかりと聞き取りたい気持ち、理解できます。その言葉には感謝の気持ちや温かさが込められているため、是非一度でもその言葉をご自身で聞いてみたいという思いはとても尊いものです。周囲の人々が理解と支援を示してくれているという感謝の気持ちも、お伝えしたいときには「ありがとう」という言葉で表現することが多いでしょう。 「無音の世界」を知ることができる貴重な経験ができたとしても、今まで聞けなかった音や言葉を知りたいという気持ちはとても大切です。周りの人々に気持ちが伝わっている、とおっしゃっていただけることも、意思や思いをしっかりと伝えられている証拠かもしれません。 「無音の世界」とは異なる世界を感じ、受け入れていくことは決して易しいことではありませんが、その中で自分らしく生きるために必要なことかもしれません。共感や理解を大切にし、気持ちを表現できる方法を模索していくことが、大切なのではないでしょうか。