周りの人に「あなたの周りにはたくさん人がいるからいいよね」って言われるけどそれは違う。 私も前まではそう思ってたけどいざ虐めを受けた時、味方をしてくれる人なんて一人もいなかった。私は大切にしてた人は相手にとってはそんな事無かった。 確かに周りに人はたくさん居るかもしれない。だけどそれは今だけの話。
@きっちゃん いじめを7年間ずっと受けていたので自分がいじめを受けるのは当たり前という考えにいつの間にかなっていました。自分が虐められるのは私が悪いと思っています。でも虐められる理由がまだ分かりません。私が悪いのですか。
殆どの人間が対人関係において、”それなりに時を共にした人(家族/友人/幼馴染/恩師)”以外には踏み込んだ応答をしないようにしています。無意識下でです。 というのも、これにはドイツの心理学やアドルフ・ハドラーの提唱した「人間の悩みのほとんどは対人関係である」という考えが関係しています。 自分以外の人間と関わること、それは関わる人数分の生を生きるのと同義です。 詰まるところ、正の感情(楽しい/嬉しい)は勿論、負の感情(後悔/不安/悲しみ)、複雑な状況までも共有することになります。ゆえに、人は恋人や家族とその負担を背負うに足る人物にのみ真っ当な付き合いの関係を限定しています。 そして、その限定する人(負担を背負うに足る人)の基準は決める”当人独自のもの”であり、一般的な価値観から模範的な人格を持っていたとしても、崇高な思想を掲げていたとしても当てはまらないこともあります。類は友を呼ぶの意ですね。 力を抜いて、ローリスクローリターンを重ねて人生を送る人(上を見上げすぎない=そこそこの出来の自分を目指す無理のない人生)、ハイリスクハイリターンにリスクを減少させるための時間をかけることを積み重ねる人(高い目標を掲げて多少の無理をしてでも目標に向かって前進する人生)など人種は様々です。 上記を踏まえ、対人関係の心理は「自身の他人の課題の分離」にあります。 要は、周囲への評価を気にかけても自身が予想する評価が返ってくる保証はないことから、普段は自分が良しとすること(目標とすること=課題)を目指し、その過程で評価し、共感し、協合する人を友人、つまりは真っ当にかかわる人間に定めると良いということです。精神的負担が軽減され、モチベーションの維持にも寄与しますから。 対人関係に見出す意味はそれぞれですが、少なくとも「自らの自尊心をすり減らしてまで(パフォーマンスの質を劣化させてまで)続ける関係に価値はない」です。 無論、仕事で関係を義務付けられる場合は別ですが、プライベートの付き合いはこうあるべきです。 あめまるさんは世間一般で善とされる”優しさ(配慮)”や”共感(思いやり)”や”勧誘(楽しさの共有)”などを多く行ってきたと文の内容からお見受けします。 率直にいって、素晴らしいことです?そして、それが報われない現実は忌むべきものです。 しかし、人間は機械でない。自身の思うべき論や社会の定めた理想像は当てになりません。 それを理解し、先に述べた指針の下、対人関係への認識を改め、あめまるさんのその”正しさ”を評価し、自己肯定感を高め、パフォーマンスを向上させ、結果的に生をより豊かにし、その軌跡に意味を持たせるきっかけとなる出会いを探してみてください?参考になれば幸いです。
それを知っている、つゆさんは、強い人と思います。
つらい体験は、なかなか人には伝わらなかったり、話しても理解されなかったりと難しく思います。
いじめを受けた時に、誰も助けてくれない中、耐えてきたんですよね。
こんにちわ。 つらいですね。