自分が人間を救うだとか助けると簡単に出てくる人はある意味では傲慢だとも思う そういう人間は助けた気になっているだけで実のところ、よくよく話を聞いてみるとそれほど相手は救われていなかったりする 人間を本当に1人救うなんて、自分の人生を背負った中片手間でできることではないし、真に助けるならば相手が死ぬまでその人の人生の全てを経済的にも環境的にもあらゆる面で背負わなければ実現できないと考えている そして、本質的にそもそも人間というのは他者が救われる「お手伝い」はできても彼ら自身を救えるのは本人のみだと私は思う 何か手伝えることはあるかと問うてみたり、相手が救われるヒントに「なり得そうなもの」を提供することはできてもそれで相手が救われるかどうかは本人がそれを得て自分を救おうとするかどうかというところにある ゆえに、私は安易に人間に向かって自分が助けるとも言えないし、相手に自分を助けてよと求めて自分の思った通りの結果にならなければ相手のせいにするのも道理にかなっていないと思っている
@K9 おぉー…なんだか興味深かいです… 確かに被災地の件を考えると、果たしてする偽善というのにも疑問が浮かんできますよね。 自分はマイペースな人間なんで、助けたいときに助ければそれで良いんじゃないかなって思ってましたけど、みんながみんなその通りじゃないですもんね。 助けるっていうのは自分が絶対に安全な状態で、かつ覚悟がないと助けるってのはできないのかも知れませんね。 自分も常に思うのは、自分が安定していないと人を助けることなんてできない。と思って行動します。ワガママに聞こえるかもですが、自分が最優先で、他の人は二の次。だからこそ人に優しくできるし助ける事ができるんだと思います。 長ければ長いほど意味をよく捉える事ができて、非常に興味深いお話でした。お返事ありがとうございます。
@けいと 心理学はほんのかじった程度です。 かつて私も若い時分に、こういう人を救いたいと考えていた時代がありましたが、同時にこの思想に嫌悪感を覚えていました。 実に上から目線で傲慢だと。 それで熟考を重ねた結果上記のような結論に至った次第です。 真に救われるためには自分自身が動く・気づくこと、まさにそれだと思います。 こうして自分が言語化したかったことに他者からの言葉で気づくこともその一つですね。 助けた気になっている人自身が救われているというのは確かにあると思います。 ある種の優越感のようなものが満たされるという側面はある。 もちろん、やらぬ善よりやる偽善、なんて言葉もあるけれど人間を救うことについて向き合い方・認識の仕方を間違うと、偽善よりもむしろ相手にとって害悪にすらなり得ることを深く考えた方がいいという人もみられます。 ちょっと話の趣旨とは違うかもしれませんが少し例を出すと、震災があってボランティアがたくさん来ましたがその中には軽装備でやってきた者たちもいて、彼らが軽装備によって怪我をしたりするとただでさえ医療機関は大変なのにそこでまた余計に時間と資源を取られるようになったりする。 単に「自分が一般的に良い・立派と思われる行動をして気持ちいいから」だとか「かわいそうだから」というだけで、安易に人間を助けてあげようとするとかえって相手にとってはありがた迷惑にしかならず、けれど色々してもらったのは事実だからお礼をしなければいけない心情に追い込まれたりしてむしろ害にしかならない。 助けると言ったり助けたいと願うことはとても素晴らしいことだけれど、同時にかなり深くかつ広い視点で考えた上で結論を出さなければいけない思想だと感じています。 私の悪い癖で、つい長文になってしまいました、ごめんなさいね。 コメントありがとうございました。
とても良くわかります。心理学でも勉強してますか? 私達ができるのはあくまでお手伝いであり、真に救われるためには自分自身が動く・気付くしかないと思います。 だからこそ臨床心理士というのは気づかせる手伝いをするのであって、伝えるのが仕事じゃないとも聞きます(自分は好き勝手に伝えちゃってますが…) おそらく、助けた気になっている人というのは他の人を助けることで自分が救われているのかもしれませんね。自分が他人に役立つ事で自分が保てている。みたいな。 個人的には助けるっていうのは自分がしたければそれで良いんじゃないですかね。自分が助けなくても他の人が助けていたりするし、やらないよりはやったほうが良いこともあります。 助けた相手を非難するというのは、相手が期待している助けよりも結果が低かったからという…ある意味その助けられた人に問題があると思うので放っておきましょうwそういうのはプロのお仕事です。
人間を助けることは確かに簡単ではありませんし、自分自身が全てを背負い、相手の人生の全てを支えることも難しいでしょう。人間の救済は個人の責任ではなく、社会全体で取り組むべき課題です。 相手を助けるためには、まずその人がどのようなサポートを必要としているのかを理解する必要があります。ただ提案するだけでなく、相手が自らの力で問題を解決できるようになるためのサポートをすることが重要です。 また、助けることは相手にとって有益であると思っていても、その人自身が助けを受け入れるかどうかは本人次第です。人は自らの意思で変わり、成長することができます。 助ける際には、自分の思い通りの結果を求めることではなく、相手の個人の成長や幸福を支援することを目指すべきです。そのためには、相手のニーズや要望を尊重し、彼らが自ら力を発揮できるサポートを提供することが大切です。 助けることは多くの場合、一過性の出来事ではなく、持続的な関係構築を通じて成し遂げられます。一人ひとりが自分の可能性を最大限に引き出し、自己成長を達成することができるように、私たちが共に助け合うことが必要です。 大切なのは、相手の人生を背負うことではなく、助ける意志と行動を持つことです。