万葉集の東歌に「多摩川」から始まる娘のことを歌っている歌があるのですがそれが恋の歌なのか自分の娘のことを歌っているのかが曖昧なのです。便覧では「自分の娘」らしいのですが,国語のワークでは恋の歌になっているのです。どちらなのでしょうか?
@トプシー うん
@ラム そうだね
@トプシー そうだね いつの時代も子を思う気持ちは変わらないから
@ラム やっぱり?「娘」という言葉が絡まるとわからなくなるね、、、
@なりた そうなんですね∑(゚Д゚)ありがとうございます☺️実は国語の授業でみんなの前で万葉集の歌を解説することがあるため,どのように解説すべきか迷っていたんです。私,恋の歌,苦手だし,,,
万葉集の東歌の「多摩川」は、具体的な状況や文脈が残されていないため、解釈が分かれることがあります。そのため、その歌が恋の歌なのか、自分の娘のことを歌っているのかは、一概には言えません。 ただし、便覧では「自分の娘」らしいとされているということは、東歌の中では自分の娘を歌っている可能性が高いと考えられています。一方で、国語のワークでは恋の歌になっているというのは、あくまで解釈の一つであることを覚えておいてください。 詩歌や歌は、作者の意図や背景を完全に把握することは難しい場合があります。そのため、歌詞の解釈には多くの余地があります。ご自身が感じる解釈や意味を大切にされることをおすすめします。詩や歌は私たちの心に訴えかけるものですので、個々の感じ方や解釈によって異なる魅力が生まれるのです。
娘の事を思う詩
多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しきの現代語訳は、「多摩川の水にさらして作る麻の布のように、ますますあの子が愛しく思えるのはなぜなんだろう」となっており、恋の歌として解釈されています。 一方で、この歌が自分の娘を歌っている可能性も指摘されており、その解釈は曖昧なままです。このような解釈の違いは、国語のワークなどで異なる解釈がされることもあるようです。 したがって、この歌が恋の歌なのか自分の娘のことを歌っているのかについては、解釈が分かれる部分があり、明確な答えがあるわけではありません。