やっぱり人生って環境だよね。環境というか周りの人間で全然ストレス違うね。 後は、自分の持ってるものをどう活かして、嫌な部分もどう受け入れるかだよね。なおかつ、嫌われる勇気を持ってどんな厄介なやつにも飛びかかっていくことかな。常識なんか関係ない。
@Hinata(陽葵) 確かに特性はあるかもしれません。 私にとっての琴線は、またいじめられたくなかったり、社会は協力し合うための社会なのに互いに足の引っ張りあいをしたくなかったり、人に痛みを与える人をみると過去の自分と重ね合わさって聞いてるこっちまで不快になってほっておけなくなったり…ですかね。 すみません。自分でもよく分からないんです。とにかく対人関係が苦手で、嫌味な言い方をされたり、圧をかけられたり、怒鳴られたりするとどうしても我慢できたとしても不快になってしまって、ずっと済んだことでも考え込んだりします。相手がやられている所を見てもイライラしたりします。あんなに当たんなよふざけんなって気持ちになるんです。
@あさん お返事ありがとうございます。 たくさんご自身と向き合ってこられたのですね。 どうしても感情的になってしまう時というのは、特性としての衝動性の可能性もあるかもしれませんが、それ以外にも、どうしても許せない/耐えられない「あさんの中の琴線」というのがあり、それに触れてしまっているのかもしれません。 誰しもに、その琴線というものはあるのではないかなと思いますので、まずは自分の琴線を知ることで、自分の感情が高まった時にも自分自身を少し客観的に観察したり、感情コントロールしたりしやすくなるのではないでしょうか?
@Hinata(陽葵) 私もたったの23年の人生ではありますが、私も少しずつ考え方を良いようにも悪いようにも考えられるようになりました。 自分を20年近くも偽って生きてきて嫌われないようにする癖や怒られることを恐れる癖がついてしまっている部分やその影響からネガティブに考える癖がついてしまっているのでそこを治したいとこです。 でも思いました。発達障害持ってても、ゲイでも、繊細でもろくても、仕事が続かなくても自分なんだ! 周りから批判されても、バカにされてもそれは個性の1部だと思うようにしました。 他者に関しては、この人は可哀想な人だな。この人には余裕が無いんだな。この人にもなにか病気を抱えてるかもしれないななど考えると楽になるというのは分かってますし、心理学でも学びました。嫌われる勇気をもつと人生が変わるのも学びました。でも、いざとなるとついカッとなってしまったり、ビビったり、顔に出てしまったり、落ち込んで頭から離れなくなってしまうところがあります。そこを治したいです。
自分が物事をどのように捉えるかなどもとても大きなことだと思いますが、 環境も大きいように私も思います。 自分のことをいい部分も悪い部分もまるごと受け入れられるようになったら 自然と他者のことも同じように見れるようになるのではないかなと感じています。