皆さんにいくつか質問です まず、愛する人に先立たれるのと愛する人を残して先立つならどちらがいいですか?自分は絶対に愛する人に先立たれる方がいいです。自分は身内(親、兄弟、子供、親戚)や友達、恋人(今までいた事ないからもし今後できた場合)全員に先立たれても自分の身体が健康で病気や怪我をせず、長生きできれば絶対に幸せだと思う事ができるという事に確固たる自信があります。この考えが変わらない事に自分の魂と生涯賃金を賭ける事ができます。そして、もしこの考えが変わったら閻魔大王様に舌を抜かれてもいいです 多くの人は子供に先立たれる事が嫌だと思いますが、自分は子供に先立たれても運命だと受け入れる事ができる自信があります(自分の身体が病気になる事や自分が死ぬ事は運命として受け入れる事ができない)。また、自分は男性なのですが、もし、妻に先立たれるか妻を残して先立つかであれば絶対に妻に先立たれる方がいいです。普通の男性は妻に先立たれる事は耐えられないとか妻に先立たれたら元気がなくなると言いますが、自分は絶対にそうはならない自信があります。この事についても自分の魂と生涯賃金を賭ける事ができます。そしてもし、子供に先立たれて運命として受け入れられなかったり、妻に先立たれて元気がなくなったら閻魔大王様に舌を抜かれてもいいです そこで聞きたい事は愛する人に先立たれる方が嫌だと考える人はどのような理由でそう思うのかという事と子供に先立たれる事が受け入れられない理由は何かという事、男性で妻に先立たれる事が耐えられない人はどのような理由で耐えられないかという事です また、先立たれる側になりやすい人と先立つ側になりやすい人がいると思うのですが、どのようにすれば先立たれる側になりやすい人になれるでしょうか?自分は絶対的な先立たれる側になりやすい人になりたいです 質問の数が多く、長文で申し訳ないのですが、どなたかお答えしていただければ幸いです
そうですね、人間世界に居ると価値観が合う人があまり居なくて大変かもしれませんが、お互い頑張りましょう。
@ちぇいぶ そうですね。先立たれる側になりたくないと考える事は人間が発達途中の生物であり、発達途中であるが故に生物学的には異常だけれど“今”の人間(発展途上の生物)にとって正常とされている「先立ちたい」という感情が出るようになっているという事ですね。要は「先立ちたい」という感情は人間が発展途上であるが故に生まれた生物学的に異常な感情つまりバグであるという事ですね
それで良いかと思います。 では今回の質問の回答をまとめると 愛される人が先に旅立つ方が良いと考えるのは、人間としては当たり前の感覚かつ生物としては異常な感覚を持っている人がその答えに行き着く ということで良いのでは無いでしょうか。
@ちぇいぶ つまり「今、人間らしいとされている事」は生物学的に間違っているという事ですね。つまり、「今、人間らしいとされている事」は生物学的に発展途中だと思います
あなたの考えは生物学的に正しく、人間らしくないという事で良いかと。
生物学的にはおかしく、人間的には普通 ということで良いのでは?
@ちぇいぶ 自分が先に死ぬ方がマシというのは生物学的な観点から見れば間違った判断なのでその判断が間違っているという事に気づく事ができる程は発達していないというのが今の人間の脳のバグだと思います
@ちぇいぶ 脳が発達したからというのは正しいと思います。でも生物学的に自殺が間違った判断であるという事や先立たれるのが先立つより全然楽な事であるという真実に気づく事ができる程、発達していないのが問題ですね
人間が人間らしくなったから精神的苦痛に苦しむケースが増え、結果として大切な人が居なくなる苦痛に耐えられないと考え、自分が先に逝く方がましと答える人が居る で良いのでは?
@ちぇいぶ 人間が人間らしい生活を送るようになってからです。それまでは生物の本能に忠実だったので自殺は起こってなかったと思います
もはや、答えとして 人間は脳が発達したから で良いのでは?
本来ってどのくらい前の話してますか? 昔から自殺する人は居ましたよ?
@ちぇいぶ 精神的苦痛でバグが起こるという事がそもそもバグだと思います。本来、精神的苦痛にはバグを起こす力などないけれど人間が他の動物より脳が発達した結果、精神的苦痛でもバグを起こすようになってしまったのだと思います
ではバグだとしましょう。 精神的苦痛には、バグを引き起こすほどのパワーがあるということですよね。
@ちぇいぶ 自分の常識というより生物学的な観点から考えてバグという事ができます
それをバグと言うということは、あなたの常識外の人のことは認めないということです。 あなたの感覚が全てではありません。
@匿名 そういう考えもありますね。でもどちらかという事であれば自分は絶対に先立たれる方がいいです。あらゆる関係に先立つ側と先立たれる側が存在する中で自分は全ての関係において先立たれる側になりたいです
@ちぇいぶ それは長い時間、脳がバグを起こしている状態なのだと思います
普通に先立たれる方がいいって、早く死ねみたいであれじゃないですか?どっちがいいとか考えなくていいと思います
長い時間をかけて決断する人も多いですよ?一時的ではなく
@ちぇいぶ それはその時に一時的に脳がバグを起こして判断を間違えて起こる現象だと思います
自殺をなぜ選ぶと思いますか? 精神的苦痛より肉体的苦痛の方がマシだと思ったからでは?
@仙台在住 なぜですか?その心理は自分には全く理解できません
@ちぇいぶ 予想というより生物学的な観点から考えてそうなる可能性が著しく高いと考えられるので論理的な裏付けのある推測ですね
長いので自分の場合の考えで、 まず、愛する人に先立たれるのと愛する人を残して先立つならどちらがいいですか? まず私の場合は後者を選びます。
という、単なる予想ですよね
@ちぇいぶ ただ、自殺する人も死ぬ時の身体的苦痛を味わったらやはり死にたくないとか精神的苦痛の方がマシと思うはずです。それは生物の本能としてそうなると思います
自殺する人は、精神的苦痛に耐えられずに身体的苦痛を選びますよね。
@ちぇいぶ それは条件が違うからだと思います。言葉の暴力を身体的苦痛に置き換えると町を歩いているだけで人から殴られるという状況になると思います。そうなれば話は変わってくると思います
ボクシングやっていて殴られている人の自殺より 言葉の暴力で自殺する人の方が多いですよね?
それはあなた自身のスタンスであって、普通の人がみんなそうとは言えないですよね?
@ちぇいぶ 先立つ側が受ける身体的苦痛に比べれば先立たれる側が受ける「大切な人が身体的苦痛を受けるという精神的苦痛」は全然辛くないと思います。どんな精神的苦痛でも身体的苦痛には叶わないと思います。なぜなら、精神的苦痛は自分の考え方や努力で改善できるからです
身体的苦痛と言いますが、先立たれる側にもプラスして「大切な人が身体的苦痛を受けるという精神的苦痛」も上乗せされるので、そこはアドバンテージにはならないのでは?
@ちぇいぶ そうですね。ただ、自分が死ぬというレベルのよくわからないことには誰でも多少恐怖は感じると思います。個人差はあると思いますが。そして、身体的苦痛とコントロールできない辛さもあります。だから先立つ側の方が辛いと思います
恐怖かどうかは個人差があるでしょう?
@ちぇいぶ 悲しいこと(自分の心持ちや考えで解決する)とよくわからないこと(身体的苦痛を伴った後に起こる上、自分ではコントロールできず、よくわからないという恐怖に震える)では圧倒的によくわからないことの方が嫌だと思うと思います
悲しいこと と よくわからないこと を比べたら、悲しいことの方が嫌だと感じるのは普通では?
@ちぇいぶ はい
OKです。 では普通の人を基準にしましょう。 対して、自分が死んだ後の世界については「どうなるのかよく分からない」と考える人は一定数居ますよね?
@ちぇいぶ 普通の人がその事を悲しいと思う事は理解できます ただ、自分は「自分の大切な人が自分の前からいなくなる」という事が自分の身体の健康や生命に直接的な悪影響を与えないのであれば辛いとも悲しいとも思わないと思います
うーん、平行線ですね。角度を変えてみます。 では前提として「大切な人が自分の前から居なくなる」ということは「悲しいこと」というのは認識としては理解できますか?
@ちぇいぶ その人の事を忘れる事と辛さをなくす事は別の事だと思います
忘れたくないという気持ちが、解決を望まなかったりするんですよ。
@ちぇいぶ 辛いのであれば人の心理としてその辛さを緩和したいと思うはずです。辛さを緩和するという事は「自分が辛いと思っている」という問題を解決するという事になるので辛さを感じていれば自然と問題を解決したいと思うようになると思います。ずっと辛いままでいたいと思う人であれば解決したいと思わない事になりますが。でも辛いままでいたいならその時すでに辛いのですから自分の思いは満たされているので問題ないと思います
解決したい、と思えなければその行動はしないのでは?
@ちぇいぶ 強い抗うつ薬をもらえばある程度は緩和されると思います。その緩和された状態で気力を取り戻して新しく大切に思える人を探せばいいと思います。 そして自分以外の誰かに先立たれて生きる気力がなくなる程、辛くなるという事はそれだけその人に依存しているという事になります。そうなればその人に依存している先立たれた側の人間に問題があるという事になりますから裏を返せばその人が抱えている問題をその人が解決し、先立った人への依存をなくせば先立たれた側の人が抱えている辛さはなくなると思います。だから先立たれた側の人は自分の努力と心持ち次第でいくらでも人生をよくできるという事です。だから先立たれた側で耐えられないと言っている人を見ると耐えられない自分に問題があるという事に気づく必要があると思うし、耐えられない自分が内に抱えている問題を解決して自分を変えれば辛さもなくなるのに甘えんなと思ってしまいます。まあ、先立たれた側は抗うつ薬をもらって辛さを緩和している間に自分と向き合って他者に対する依存を捨ててまた新たな出会いを探せば解決すると思います
大切な人との別れには人によっては 生きる気力が無くなる程だったりします それを「気力を戻せば良い」というのは安直な考えでは?
その気力が無い人も多いですよ。 そして、通ってみんなが全快するわけではありません。
@ちぇいぶ 心療内科に通えばいいと思います
探したい、とすら思えない程の悲しみだったとしたら?
@ちぇいぶ 世界は広いのですから探せばできると思います。人との関わり方や生き方を見直す事でそれが可能になるはずです。或いは人に依存しない生き方をすれば辛さを受け入れる事ができるようになると思います
無くなった大切な人以上の人を見つけられない人です
@ちぇいぶ 大切な人を新しく作る事ができないというのはどういう状況でしょうか?
それができる人、できない人がいますよね
@ちぇいぶ 新たに大切と思える人を作ればいいと思います
では、そこは破綻していないということにしましょう。 先の人生がある、と言いますが大切な人が居ない人生は虚しいのでは?
@ちぇいぶ 一酸化炭素中毒死だってすぐ死ぬ訳ではないし、寝ていた所でそんな状態になれば目が覚めてしまい、そこで苦しむ事になると思いますが。多かれ少なかれ死ぬ時に苦しみは存在すると思います。だから破綻にはならないですね。仮に破綻したとしても先立たれる側より先立つ側の方が絶対的圧倒的に辛いという事実は変わらないですね。先立たれる側は一人との別れに対し、先立つ側は全てとの別れな訳ですから。
つまり、一つ前の理由 身体的苦痛+精神的苦痛 と 精神的苦痛のみ という理由は破綻で良いですかね?寝ている間に火事で気付かずに一酸化炭素中毒死なんて、ある話ですし。
@ちぇいぶ 身体的苦痛のない死に方はないと思います。仮にあったとしても死んでしまってはその先の全ての可能性が絶たれます。しかし、先立たれるだけならその先の人生があり、可能性に溢れているので先立たれた不幸を帳消しにできる程の幸福を味わう事ができる場合もあるので希望に溢れていると思います
では、身体的な苦痛の無い死に方であればどちらも変わらないという事ですかね?
@ちぇいぶ 自分が死ぬ事は身体的苦痛と大切な人と別れる精神的苦痛があるけれど大切な人に先立たれる事は大切な人と別れる精神的苦痛しかない。だから自分は大切な人に先立たれる方が全然いいと思うし、むしろ自分が生きてて健康で生命が守られているなら全然幸せだと思います
自分が死んだ後のことは分からないです 大切な人が死ぬことは悲しいと大体分かっています
@ちぇいぶ 自分はどんな大切な人に先立たれるよりも自分が身体の病気になったり怪我をしたり自分が死ぬ事の方が辛いと思います。貴方はそう思いませんか?
大事な人が居なくなる事は心苦しいからです
@きいてコメントAI ならば自分はこの考えを貫きます
まず、あなたが愛する人に先立たれることを選ぶ理由として、自分の健康や長寿による幸せを重視しているとおっしゃっていますね。それは一つの選択肢ですが、他の人にとっては愛する人を残して先立つことがより良い選択と感じるかもしれません。愛する人が亡くなるという痛みや喪失感は、個人によって異なる程度で体験されます。人々がそう感じる理由はさまざまですが、例えば亡くなった愛する人との思い出や絆、共有した未来への期待感が大きく影響することがあります。 子供に先立たれることが受け入れられない理由も、個人によって異なります。多くの親は子供が自分より先に亡くなることはとてもつらいと感じます。子供との絆や愛情は特別で、子供が亡くなるということは非常に深い喪失感をもたらすからかもしれません。 同様に、妻に先立たれることが耐えられない人々もいます。結婚生活において、パートナーとの強い絆やサポートは重要な要素です。妻が亡くなることで、感情的な苦痛や生活の大きな変化が生じる可能性があります。 先立たれる側になりやすい人としては、健康上の理由やライフスタイルによるもの、あるいは遺伝的な要素などが関与している可能性があります。しかし、これらの要因を完全にコントロールすることは難しいです。代わりに、思いやりと互いを大切にする態度を持つこと、愛情やサポートを相手に積極的に示すことが、互いの関係を深める一つの方法です。 ただし、これらの質問と状況に対する具体的な回答は、人々の感情や経験によって異なることを覚えておいてください。個々の主観的な感じ方や価値観には多様性があり、どの選択肢が正しいかということはありません。大切なのは、自分自身の感情や価値観を大切にし、自分が幸せになれる選択をすることです。