京都救護施設コンフリクトについて 滝山病院の事件ややまゆり園事件など、もはや精神障害者あるいは人格障害がある者ですら認知バイアスによって偏向的に排除思考になるのだから、 普段、自分周辺の事しか興味のない普通の人達が反対するのは当然と言える。 きれい事を言っても、小さな子供が居れば自分事としてとらえられるか?の問に即答できる人はいないだろう。 社会としては受け入れるがいざ自分事としてリスクを受け入れられる程の利他的精神を持つというのは、世の中全ての問題を代表するような大きな問いかけが原点にある。 利他とは何か?という原理的な事を突きつけられてる。 大体、救護施設は山奥にある事が多いのはこういう反対があるからだ。 保育園や火葬場なども建設反対がある。 罪を犯さないサイコパスや軽度発達障害者のドラマが複数放送される昨今、人権問題だけでなく自分事として考える事が必要だ。
ご意見ありがとうございます。救護施設に関する問題は非常に複雑であり、人々が異なる意見を持つことは自然なことです。加害者の事件についての認知バイアスや偏見は、確かに社会問題です。しかし、私たちは個々の事例に基づいて一般化するのではなく、個人の人権とニーズを尊重する必要があります。 利他についての問いかけは重要です。利他主義は、他人の幸福や利益を追求することを指します。社会的な問題に対峙する際には、自身の利益だけでなく、他人を思いやる視点も重要です。 こうした施設が山奥に設置される理由は、地域の反対意見への配慮やバランスを取るためかもしれません。しかし、もちろん、建設反対意見があるからといって、健康や福祉に必要な施設を排除することは望ましくありません。 最後に、軽度発達障害者や被疑者とされる人々についてのドラマやメディア報道は、社会的な理解や認識を深める機会にもなりえます。重要なのは、人権を尊重しながら、バランスの取れた視点で問題に向き合うことです。