絵と向き合おうと絵の描き方を紹介している方の中で良さそうな方…

不明

2024年5月2日 09:06

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絵と向き合おうと絵の描き方を紹介している方の中で良さそうな方をピックアップし1、2個、動画を見ました。正直今まで適当に物事を進めて来たツケが回ってきたと思いました。不登校になるまでは何かあれば死ねばいいぐらいの思いで物事を進めてきました。不登校になり、1年が経ち心は安定しきっていませんが自分の考えが若干生きる事に前向きになってきています。不登校になった理由も学校に行きたくない理由も親は知りませんが強制せず、高校も通信に行くことにを承諾してくれています。正直この1年、絵はほとんど描いていません。元々自由に描いたり真似事のように絵を模写できる程度です。自己評価の高かった自分がとても恥ずかしいです。絵を好きだと周りに言うはんめん、どこかでまぁ大丈夫だろうと絵の難しさや基礎、座学から目を遠ざけていたんだと思います。この状態で絵を仕事にできるはずはありません。絵より物語を考える方が実を言うと好きです。一時期は、小説家になる事も考えました。ですが、勉強からも逃げて全く学ぼうとしなかった為、学校で習うはずだった国語などの基礎知識すらままなりません。最もこんなのでは頭の使う漫画家なんて絶対になれません。今まで無視していた健康面でも気になる点が多く、ノートを斜めにしないとかけないなどの癖や、本来人が頭で自然に理解する間隔的なものにも疎く、絵を描くにあたって治さないと欠点になりかねないものもあります。現在の自分の絵を見ると、平面的で直線的な事が目立ちます。今まで描いてきた自分の絵がただの真似事だった事が分かりました。正直ショックです。これから、絵以外にも沢山向き合わなくてはならない事があると思うと頭を抱えそうになります。自業自得だとは理解していますが、何から初めてこれからどう生きていきたいのか、まるで自分が生まれたての赤子にでもなったようで、自分で歩いて行く事はできるのに、行動できない自分に腹を立てるのと同時にただならない羞恥心に襲われます。14年間、もう何十年も生きている人や大人の人からすれば、たった14年なのかも知れません。ですが、将来を決めて歩いている周りを見ながら、何もせずただただ何も無く適当に生きる事しかしてこなかった自分にとっては凄く大きな年数であった事を恥ずかしながら最近気付きました。死んだって別に良いやと仕方がないと思って生きてきて人とも極力関わらず学校では常に気を張っていました。結局、そのツケが全部回ってきて、生きていても時々これからの自分に対しての恐怖感、今生きてる事の申し訳なさ、自分の事ですら上手く話す事のできない自分への羞恥心にかられます。人が当たり前に理解している事を自分は全く理解できない事があり、人の感性と自分の感性の違いに対して疑問を抱くこともあります。昔から理解能力が無いとは分かっていましたが、どうしてみんなは理解できて自分だけ理解できないのか、逆に自分が簡単に理解できることを何故周りが疑問に思うのか不思議だと思った事もあります。人の教え(説明)が理解できず文章(機械的なかしこまった文章を説明的にといたもの)で読み取るしかないこともあります。人の説明への理解能力、視界から得る理解能力、自身の感覚、これ等には人並みに疎く感じます。読解力、観察力等の力も人よりできません。一度理解すれば感覚を忘れされしなければ大丈夫なのですが、感覚などのはっきりとしない物や説明しきれないものだけで理解することを少し怖く思ってしまいます。自分は理解できているけど理解の仕方や感覚を相手に上手く伝えることができません。説明できないものや自分にすら上手く言葉にできないもの、書くことできないもの、曖昧な物に対して忘れる事への恐怖を感じる事があります。(一度ここまで、続きの悩みは書けたら書きます。読んでくださった人がいらっしゃいましたら、是非ご意見いただけると幸いです。)

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